清原さんのお話を聞かせてもらった後、4つのグループに分かれて周辺の史跡などのフィールドワークしました。 西光寺の脇の階段を上がると「燕神社」がありました。「燕神社」は水平社の前身の柏原青年団のサークル「燕会」のメンバーがつくった神社で、夜会を開いたり、演説の練習をしたりしていたと言われる場所です。 階段を下りて少し歩いたところには「水平社宣言記念碑」がありました。水平社創立50周年の記念に「荊冠(けいかん)友の会」という水平社OBの会の人たちが建てたそうです。碑には荊冠旗と水平社宣言が刻まれていました。 続いて「誓願寺」。本村の浄土真宗本願寺派のお寺で、水平社創立時の住職は三浦参玄洞といい、水平社にとても協力的でした。悩む西光万吉さんのよき相談相手になってくれていたようです。差別することが当たり前であった世の中にあって、この住職のように差別をせず、差別をなくすために協力していた本村の人たちもいたとのことでした。 最後に西光寺前にある「五万日目記念碑」へ戻ってきました。この村に伝わる「五万日の日延べ」の言い伝えに基づいた碑です。「解放令」が出された直後に、枝村の庄屋さんが本村の大庄屋さんに呼ばれて、「解放令がお上から出たけれども、あれは5万日延期になった。」と嘘を言われた、という言い伝えです。その日からちょうど5万日目にあたるのが、2008年9月3日だったそうです。その「5万日目」を記念してこの碑は建てられました。「5万日」というのはずっと先過ぎて、当時の人たちにとっては、”これからもずっと(永久に)”と聞こえたかもしれません。でもそれから”ずっと先だった”5万日はとうに過ぎてしまっています。私たちが、本当の意味で差別ない世の中をつくっていかなければなりませんね。 |