学校紹介 

  ★ 校区について

 三浜小校区は、南北約3km、東西約1kmと、南北に長い形をしています。
 学校〜校区全体が、第一コンビナートや中小の工場群にかこまれていますが、かつては、のどかな田園風景が広がっていたそうです。
 JR関西本線、近鉄名古屋線、国道23号、塩浜街道が校区を南北に走り、車の往来がたいへん盛んです。

 三浜小を境に、行政区が「浜田地区」「塩浜地区」の二つに分かれており、卒業生の進路も北は港中学校、南は塩浜中学校と、二つの中学校へ分かれて通うことになります。
学校周辺の様子  
(三重県森林GISから引用転載)


  ★ 学校について

 三浜小学校は、1956(昭和31)年4月に四日市市立塩浜第二小学校として設立されました。三浜小学校の名前が使われるようになったのは、6月1日からだそうです。
 当時は、コンビナートの進出などで町もにぎわっており、全校児童が1200名あまりもいた時期(昭和32〜35)もあったそうです。

 もともと三浜小のあたりは土地が低くて、1959(昭和34)年の伊勢湾台風では、床上140cmの浸水が記録されました。140cmといえば、それだけで1年生のお友だちの頭の上ほどになります。伊勢湾台風のおそろしい被害の様子がわかりますね。

 また、石油化学工場の進出により、工場のえんとつから出されるけむりやガスによって「公害」の影響を受け始めたのもこのころです。
 1968(昭和43)年には、教室に「空気清浄機」が取り付けられたということですから、当時の子ども達は、安心して外で遊ぶこともできなかったでしょうね。



 1957(昭和32)年完成の鉄筋校舎
 三浜小学校の今の校舎が完成したのは、1990(平成2)年になります。時計台があり、各教室はオープンスペースの壁のないつくりになっています。また、ゆったりとしたワークスペースも設けられており、ゆとりとうるおいのあるすてきな校舎です。三浜小学校のすてきな校舎と、そこで学ぶ子ども達の様子を見学しようと、全国からのお客様があったそうです。

 
完成当時(1990年)の校舎

 現在は、児童数約60名と、市内でも小さな規模の学校となりましたが、元気で明るい三浜っ子の伝統は今も続いています。
 全校を6に分けた縦割り班で、高学年と低学年がいっしょになって、「たてわり班遊び」で楽しく過ごしたり、遠足や運動会、イベント集会も縦割り班を中心に取り組んでいます。

たてわり班活動(イベント集会の様子)