“オークションシーズンの洞察”と題されたトークで、私は1時間にわたり時計オークションの運営にまつわる複雑な仕組みについてヘス氏に掘り下げて尋ねた。特に関心を引かれたのは、大手オークションハウスで目録を作成し、キュレーションするプロセスだった。その回答は私の記憶に残り続けるだろう。彼が強調したのは、1000万円以上の高額で売れることが確実な“話題性のある”時計よりも、ストーリーを持つ時計の重要性だった。確かに、トレンドに乗った高額な時計が常に目録に含まれることは間違いないとヘス氏は認めた。ただサザビーズが力を入れているのは、来歴があり、感情や心に響く時計をコレクターに届けることだという。
数週間前に、サザビーズが12月6日に開催予定の“New York Important Watches”の目録を公開した際、そこに示された方針が具体的に反映されているのを確認できた。ヘス氏とそのチームが今週金曜日に出品する時計のなかには、38ロットにおよぶヴィンテージホイヤーのコレクションがあり、その多くがモータースポーツと直接結びついている。
モーターレーシングは当時、ホイヤーのDNAそのものを象徴するものであり、現在でもタグ・ホイヤーのブランドアイデンティティに深く刻まれている。LVMHがフォーミュラ1(F1)との10年間のパートナーシップを発表した際に、タグ・ホイヤーが名を挙げられたことがその証だろう。現代の高級産業においては“グローバルパートナー”となること、契約締結時の華やかな写真撮影、そして年間1億ドル(日本円で約150億円)と噂される契約金が必須となる。一方、1968年当時、ジャック・ホイヤー(Jack Heuer)はスイスのF1ドライバー兼耐久レースドライバーであるジョー・シフェール(Jo Siffert)に、タグ・ホイヤースーパーコピー代引き年間2万5000スイスフラン(当時の相場で約205万円)を支払い、さらにホイヤーの時計を卸売価格で購入できる特権を与えた。
このパートナーシップは、時計業界で初となるスポーツ選手とのアンバサダー契約だったとされ、ホイヤーの歴史を一変させた。確かに1960年代後半にはホイヤーのカタログの大部分がモータースポーツ向けに特化していた。だがシフェールの影響力(そして個人的な利益への意欲)は絶大で、彼が出会ったほぼすべてのドライバーの手首にホイヤーを装着させたといわれている。レース開始数分前のスターティンググリッドで、シフェールが仲間のドライバーたちに時計を売り込んでいたというエピソードは特に印象深い。
今日、ヴィンテージホイヤーについて考えるとき、多くの人が思い浮かべるのはスティーブ・マックイーンだ。1971年公開の映画『栄光のル・マン』で、マックイーンが身につけていたのは間違いなくモナコである(撮影に使用された時計のひとつが、サザビーズのロット128に含まれている。この時計の背景についてはこちらで詳しく取り上げている)。しかし、マックイーンにインスピレーションを与えたミューズ、ジョー・シフェールを知る人は少ない。噂によれば、マックイーンはシフェールの姿を真似ることに夢中だったという。彼は本当に、とてつもなく格好よかった。そして“キング・オブ・クール”と称されたマックイーンもそれを認めていた。映画のなかでポルシェ 917からホイヤーのロゴが入った白いレーシングスーツ、たっぷりした髪型、そしてもちろんホイヤーの時計まで、マックイーンの姿はまるでシフェールそのものだ。
つまり、ジョー・シフェールとその影響力がなければ、スティーブ・マックイーンが『栄光のル・マン』でモナコを着用することはおそらくなかっただろう。そしてホイヤーがモータースポーツと現在のような深い結びつきを持つこともなかっただろう。しかし結果的にマックイーンはホイヤーを身につけ、ブランドはレースと深く結びついた。そしてサザビーズが金曜日に出品したこれらの時計のなかには、この直接的なつながりを誇示し、体現しているものが含まれている。
オータヴィア “リンツ” Ref.2446、1966年製。フォードがモンツァで開催したゾディアック耐久レースでジョン・マクレイに贈呈
ジョン・マクレイ(John Maclay)は、1966年にモンツァ・サーキットで開催されたゾディアック耐久レースの参加者としてフォード(・モーター社)が選んだ5人のドライバーのひとりである。このドライバーたちは、フォードのセダン型最新モデル、ゾディアック・エグゼクティブセダン(新型エセックス3リッターV6エンジンを搭載)に乗り、昼夜問わず7日間モンツァ・サーキットを全速力で走り続けた。3時間交代制のスティントで、このレースはドライバーとマシンの限界を試す大きな挑戦だった。最終的にマクレイたちは時速161kmを超える速度を維持し、6658周を走破して9つのクラスレコードを樹立した(詳細はサザビーズのロット解説を参照)。
Heuer Rindt archival image.
ジョン・マクレイとそのコ・ドライバー。Image courtesy of Sotheby's.
ホイヤーのオータヴィア “リンツ”は、このモデルの最も有名な着用者であるヨッヘン・リント(Jochen Rindt)にちなんで名付けられた。ここに出品されている個体は、ゾディアック耐久レースでの成功を記念してマクレイに贈呈されたものだ。裏蓋には記念の刻印が施されており、歴史好きのウォッチコレクターを魅了するのに十分な補足資料が付属している。エスティメートは1万5000ドルから3万ドル(日本円で約225万~450万円)。
結果2万1600ドル(日本円で約320万円)で落札。
オータヴィア Ref.3646、1968年製。SCCAドライバー・オブ・ザ・イヤーのトニー・アダモヴィッチに授与
Heuer MotorAge Autavia
ロット112。ホイヤー オータヴィア “モーターエイジ” Ref.3646。Image courtesy of Sotheby's.
トニー・アダモヴィッチ(Tony Adamowicz)は、アイゼンハワー、ケネディ、そしてジョンソン政権時代に、ホワイトハウスで米国政府職員として勤務していた。一方で1968年のSCCA(スポーツカークラブ・オブ・アメリカ)トランザム・シリーズではポルシェ 911に乗り、はるかに強力なコルベットやカマロとレースで競り合っていた。
シーズン最初のレースであるデイトナでマシンが大破したもののアダモヴィッチは巻き返し、ライムロックパークとブリッジハンプトンで2度のクラス優勝を果たし、さらにウォーボネットとミッドオハイオで2度のクラス2位に輝いた。最終的に“2リッター未満”クラスのチャンピオンとしてシーズンを締めくくった。このクラス優勝に伴い、モーター/エイジはアダモヴィッチを1968年のSCCAドライバー・オブ・ザ・イヤーに選出し、SCCAコンベンション賞の祝宴でこのホイヤー オータヴィアを授与した。
Heuer MotorAge archival image
トニー・アダモヴィッチ。Image courtesy of Barry Tenin.
伝統的に、2レジスターのオータヴィア Ref.3646は、3レジスターが装備されたRef.2446よりもコレクターからの評価が低い。しかしこれはロゴダイヤルがすべてを変える。さらに来歴がモーターレースに関係している場合、その影響はさらに大きい。今回出品されるこのモデルのほかに、2本のオータヴィア “モーターエイジ”がタグ・ホイヤー・ミュージアムのアーカイブに保管されている。エスティメートは1万5000ドルから3万ドル(日本円で約225万~450万円)。
結果1万9200ドル(日本円で約290万円)で落札。
オータヴィア Ref.1163、1971年製。ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシング チーム
Heuer for Vel's Parnelli Racing Team
ロット119。ホイヤー オータヴィア Ref.1163、ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシングモデル。Image courtesy of Sotheby's.
ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシングは、ヴェルコ・“ヴェル”・ミレティッチ(Velko "Vel" Miletich)と、1963年のインディアナポリス500チャンピオンであるルーファス・パーネル・“パーネリ”・ジョーンズ(Rufus Parnell "Parnelli" Jones)が1969年に設立したレーシングチームだ。1960年代から1970年代にかけて、インディ 500はアメリカ合衆国自動車クラブ(USAC)主催のチャンピオンシップシリーズの一部だった。
ジョーンズのチームはUSACシリーズに出場し、1970年と1971年に連続してチャンピオンシップを制覇した。その勝利は圧倒的で、1970年には17レース中10レース、1971年には12レース中6レースで優勝し、両年ともインディ 500を制した。これを祝うために、ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシングはホイヤーにチーム専用クロノグラフとしてオータヴィアを発注した。噂では、この時計は合計12本または15本が製作されたという。
このオータヴィアは、その12本から15本のうちのひとつで、裏蓋にはしっかりと刻印が施されている。またヴェルズ・パーネリ・ジョーンズのチームメンバーであるスティーブとの直接的なつながりを持つ時計でもある。さらにこの時計には、チームがスティーブに支給したコートも付属している。これだけの来歴と付属品が揃った状態で、完全な“スティーブ”ルックを再現することができるだろうか? エスティメートは1万ドルから2万ドル(日本円で約150万~300万円)。
結果1万8000ドル(日本円で約270万円)で落札。
カレラ Ref.11553、1974年製。マクラーレンF1世界コンストラクターズ選手権制覇記念品
Heuer Carrera for McLaren F1 Team
ロット122。ホイヤー カレラ Ref.11553、マクラーレンF1チーム記念品。Image courtesy of Sotheby's.
マクラーレン・レーシングは、1963年にブルース・マクラーレン(Bruce McLaren)によって設立されたチームである。このチームは、現在も活動しているF1チームのなかで2番目に長い歴史を持ち、成功度においてもフェラーリに次ぐ2番目の地位を誇っている。今回のホイヤー カレラは、マクラーレンが1974年に初めてF1世界コンストラクターズ・チャンピオンを獲得した際に関連するモデルだ。このシーズン、エマーソン・フィッティパルディ(Emerson Fittipaldi)とデニー・ハルム(Denny Hulme)のマルボロ・チーム・テキサコ・マクラーレン-フォードM23のマシンにはホイヤーのロゴが施され、チームはホイヤーの計時機器を使用していた。
もしマクラーレン M23をガレージに加えるための約100万ドル(日本円で約1億5000万円)を持ち合わせていないなら、このカレラは現実的に手に入れられる最上級の選択肢だ。この時計は約20本が特注され、1974年の選手権での勝利を祝ってマクラーレンチームのドライバーやその他のメンバーに贈られたものだ。推定価格は1万5000ドルから3万ドル(日本円で約225万~450万円)。