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本校は、明治9年(1876年)、富田一色村に創立された「一色学校」に端を発し、本年(2006年)で創立130周年を迎える歴史と伝統のある学校です。校長も私で34代目となります。
「富洲原」という地名は、明治22年(1889年)に、富田一色村・天ケ須賀村・松原村の3か村が合併した時に、各村の一字をとって「三重郡朝明郡富洲(須)原村」と命名したことによるようです。校名としては、明治26年(1893年)に、一色学校と天カ(ケ)須賀簡易授業所が合併して「富洲原尋常小学校」となり、大正5年(1916年)9月30日に現在地に新校舎が完成(創立記念日とする)、昭和22年(1947年)に、現在の「富洲原小学校」と改称されました。
本校は、四日市市の東北部の伊勢湾に面した商工業地帯にあり、川越町と隣接しています。国道1号・23号、近鉄名古屋線が校区を縦断しており、「近鉄富洲原駅」からは徒歩でおよそ10分という交通の便のよいところにあります。
後で紹介します現校歌は昭和35年(1960年)に制定されましたが、1番の歌詞に「三つの錨を しかりと くんであらわす 校章は ・・・」と歌い込まれていますように、かつては漁業や紡績の町として栄えた地域ですが、近海の汚染や工業の変化に伴い、地域の産業も商業やサービス業の割合が増えつつあり、近年特に、大型店舗やマンションなどの住宅が増え、地域の環境も変わりつつあります。しかし、校歌歌詞のように、かつての漁業の町の象徴としての錨を旧3地域に見立て、3地域が独自の祭りや文化を持ちつつ、しっかりと力を合わせて地域づくりを進めていることが伝わってくる地域です。
本校には、隣接している「富洲原保育園」と「富洲原幼稚園」の殆どの子ども達のほか、他の保育園や幼稚園に通っている子ども達、共通学区となっている蒔田町や松寺町、西富田町の子ども達の一部が上がってきます。そして、本校の卒業生の殆どは「富洲原中学校」に進んでいるという、まとまりのある地域でもあります。
こうしたまとまりのある地域性から、卒業生や地域の方々、PTAの皆さんの母校を思う気持ちは実に強く、活動も活発です。例えば、卒業後35年に当たる卒業生は毎年度、市内で唯一残っている築後70年経った講堂に集まり「三錨会・・年会」としての同窓会を開催し、母校に記念品を贈ってくださっています。
さて、本校は校歌の2番の歌詞にありますように「本気に 元気に 根気よく・・」を、目指す子ども像として、「夢と希望に向かって、心豊かに育ち合う子どもを育てる」ことを学校教育目標とし、授業や学校行事、児童会活動などで「生きる力」と「心」と「基礎的な学力」を育てています。
特に、地域の歴史、産業、文化、人材などを学習の舞台とした、体験的な課題追究学習や少人数教育、T・T指導に力を入れている他、富洲原中学校と共同で「小中の連携による、基礎学力を身に付ける指導のあり方」を研究主題とした、小中学びの一体化(小中一貫教育)の実践的研究にも取り組んでいます。
機会がありましたら、何よりも、学校の主役である元気な子ども達の姿を、一度ご覧ください。
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