杉田玄白がオランダの書物を訳して「解体新書」を世に広めました。人体解剖をするときに日本では穢れ意識があり、低い身分の人が解剖を請け負っていました。医者は自分で解剖をすることなく、東洋の医学は後れをとっていました。
しかし杉田玄白は解剖に真剣に向き合うことで誤った知識を正すとともに身分が違っても診察することを続け医者としての責任を負うという人生を歩みました。玄白の生き方について自分たちの差別意識も振り返りながら学習しました。
これからは、周囲のことに惑わされるのではなく自分の行動を振り返り実践していく参考となった授業でした。
