海蔵川の水も温む3月19日。時代の流れが激流となって押し寄せている中、今年も変わらず桜の花は満開の時を待ち構えています。桜の花の色のように美しく輝く新校舎が完成し、初めての卒業生125名を送り出すことができましたことを心から喜ばしく思います。保護者の皆様をはじめ、当日お招きできなかった地域等関係の皆様方に対しまして、深く感謝申し上げます。


以下、式辞の一部を掲載させていただきます。
卒業生の皆さん、卒業おめでとう。皆さんと一緒に過ごしたのはわずか一年ではありますが、この一年は私の人生おいて忘れることのできない一年となりました。初めて校長として、また、これまで経験のなかった小学校に来て、初めて出会った六年生。昨年四月、入学式の準備のために登校した皆さんは校舎の掃除や式場の準備を一生懸命してくれていました。その姿からは、最高学年となる嬉しさや海蔵小学校を「ひっぱっていくぞ」という意気込みを感じました。始業式、全校児童が静かに集まってくる様子を見て、本当に素晴らしい学校だと感激しました。みなさんの自覚が下級生にも伝わっているのだなと感じ、これが確かな伝統としてこれからも海蔵小学校にずっと受け継がれていくよう、私自身も頑張ろうと思ったことを覚えています。
さて、皆さんに、昨年の12月、中学校進学に向け、私からの願いや期待したいことをお話ししたことがありましたね。「スキーのジャンプ競技で100m飛ぶには、同じく100mの助走がいるよ」と三学期に中学校へ向けての準備をするようお話ししました。また、「散歩のついでに富士山に登った人はいない。目標を持つこと、計画をたてること、そして『登るんだ‼』という強い意志が必要だよ」というお話しでした。どれだけ強い意志を持てるのか、それによって努力の質と量に差が出るのです。最初に立てた志がひ弱なものでなく、しっかりと確かなものであるのなら、最大限の努力ができるはずです。それで、もし、努力したのに報われないとしたら、「自分の努力は、まだ、努力とは呼べない程度のものだったのだ。」そんな風に自分自身を戒めてみる厳しさも時には必要かもしれません。
目標を定めて努力をし、成功を収めること、勝利を勝ち取ることは、それはそれで生きることの意味の一つです。しかしながら、成功よりも失敗、勝利よりも敗北のほうがずっと多いのが人生です。皆さんが秋に三泗音楽会で歌った「いのちの歌」に、「本当に大事なものは 隠れて見えない」「ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある」とあります。この「日々の生活の中で、隠れて見えないささやかな、かけがえのない喜び」を見つけることも大切な生きる意味ではないのでしょうか。家族、友達、先生に出会えたことはある意味奇跡であり、どんな宝石よりも たいせつな宝物。泣きたい日もある 絶望に嘆く日も、そんな時にそばにいて 寄り添ってくれたことへの感謝を忘れず歩んでください。
私が子どもの頃、時の内閣総理大臣が、インタビューで「エターナル・ナウ(永遠の今)」という言葉を取り上げていたのを覚えています。その意味は、「今という時は現在しかない、だからこそ、今を精一杯生きよう」という意味です。すべては「今」という瞬間につくられます。過去の歴史も「今」という時間の連続の中で積み重ねられ、未来は「今」という時間の連続によりつくり上げられていくのです。皆さんととも生きたあの時の「今」は消えることのない永遠の思い出として残ることでしょう。
また、これからの人生において、失敗が何回続こうとも、敗北が何度襲っても、あきらめず、嘆かず、自分を捨てずに、「今」という瞬間に一人一人に与えられた「いのち」の炎を燃やして、これからの人生をたくましく生きぬいてくれることを祈念し、私からの餞の言葉といたします。