須原さんは県地区の戦争遺族会の代表をされている方です。
現在、ウクライナとロシアで戦争が行われていますが、昔日本でも戦争がありました。
お父さんがかぶっていた帽子、出征したときのたすきを装着して話を始められました。

まず、お父さんを戦争で亡くされた話から始まりました。お父さんは33歳だったそうです。
このような話をするのは、今日が初めてです。
須原さんは2歳の時だそうです。ですから、須原さんはお父さんの顔は全く覚えていないそうです。
お父さんが戦争に行かれた時には、お母さんのおなかの中には赤ちゃんがいたそうですが、生まれて2か月で栄養失調で亡くられたそうです。
真珠湾攻撃。太平洋戦争の始まりです。
この戦争で日本全体で320万人、三重県6万人、四日市市6000人、県地区では163人の命が失われたそうです。
それに関連して、「奉安殿」「表忠碑」の説明もありました。表忠碑には163人の方のことがあらわされているそうです。この二つとも、昔の県小学校の敷地内にありました。(上の写真右参照)
小学校の頃の様子も伝えてくださいました。
一升びんでコメの脱穀の手伝いをしたこと、めんこや竹馬、兵隊ごっこをして遊んだこと、配給をもらったこと、空襲警報が出されたこと、防空壕や灯火管制があったこと、金物を回収されたこと、衛生的によくなかったこと などなど。
子どもたちにとっても、非常にわかりやすく話をしてくださったので、子どもたちからは、多くの心の声が聞こえました。
お父さんのかばんの中の物も見せてくださいました。
方位磁石、戦地に持って行ったお金、タオルなどです。
今まで大切に保管されてきたものです。当時お父さんが持って行ったときのままです。

最後に、これからも平和であることを強く願いますという話で終わりました。
子どもたちにとって、大変貴重な話を聞かせていただくことができました。
須原さん、どうもありがとうございました。深く感謝申し上げます。