3年生が、四日市市文化課の先生の“出前授業”を受けて、四日市がいつどのように変わって近代化していったのか、その様子を学びました。
鍵となる人物は稲葉三右衛門と伊藤伝七、渋沢栄一。
町の大きな変化は鉄道と港です。
まず、スクリーンに映されたのは、今の浜田地区の地図。
浜田小学校、国道一号線、近鉄四日市駅とあすなろう鉄道、JR四日市駅、四日市港…。
子どもたちの身近な場所、ほとんどの子が行ったことのある場所があり、近鉄四日市駅の周りが栄えていることが分かります。
そこに、昔の様子を表す写真を重ねてみると、大きな駅も、工場も、銀行も、JR四日市駅の周りに集まっています。
続いて、100年前の地図を見ると、なんだか今と違うところがいっぱい。
子どもたちも先生にヒントをもらいながら、今の様子を思い浮かべながら地図を見てあれっと思うところ、ちがうところを探しました。
学校の周りに何もない。田んぼばかり?
近鉄線がない!近鉄四日市駅もない!
今のあすなろう鉄道の終点は、国鉄の四日市駅だった。
国道1号線がない!
170年前の江戸時代と明治時代の港の様子を表す絵と写真を見比べると、この間に港が整備されて、たくさんの大きな船が行き来するようになったことが分かります。
この港の整備を進めたのが稲葉三右衛門です。
港とならんで、四日市の産業の発展に大きく寄与したのが紡績業です。
伊藤伝七(9世)が渋沢栄一の助言と支えを受けてお金を集めて興したのが浜町の「三重紡績所」、のちの「東洋紡績」です。
港の整備や紡績業が、四日市が産業のさかんな年になる始まりとなったのですね。
そして、その子、伊藤伝七(10世)の寄付で建てられたのが、四郷小学校のすぐ南にある「旧四郷村役場」なのです。
昔の地図や写真、絵を見ながら四日市の町の変遷と近代化について教わった子どもたちは、次々と映される、自分が暮らす街の地図や写真に大いに興味を持ち、新たなことを知る度に
「アァ~」
「エーッ!?」
「オー!」
と、感動、感嘆、驚きの声を上げていました。
先生からの問いかけに対しても、地図や写真をジーと見てつがいを探したり、隣の子と一緒に考えたりしていました。
この出前授業を受けたことで、自分たちの町とくらしの昔のことや移り変わりに関心を持ち、これからの学習へのモチベーションがグンと上がったことでしょう。