四日市市立博物館で10月26日まで開催中の
『丹羽文雄と手紙』展。
今年9月11日に、この
ホームページでもご紹介しました。
この特集展示の一環で、10月19日(日)に行われた記念講演会に行ってきました。
講師は、丹羽文雄氏の孫にあたる丹羽多聞アンドリウ氏です。
幼いころから丹羽文雄氏と長く一緒に過ごした経験をもとに、『文豪の素顔を語る 孫が明かす未公開エピソードと丹羽文雄の人生」と題してお話しいただきました。
講演から、丹羽文雄氏のお人柄や丹羽家の温かい家庭の様子、多聞アンドリウ氏が孫としていろんなことを話し、文雄氏からたくさんのことを学び、影響を受けたことが伝わってきました。
そのお話の中で、いくつか心に残った、丹羽文雄氏のことをお伝えします。
〇 他の作家からうらやましがられるほど『多作』(たくさん作品を生み出す)で、太宰治氏には「丹羽文雄は蛇口をひねるように小説を書く」と言われていたとのこと。
〇 作家の後輩に惜しげなく教え、作家たちが作品を発表するために同人誌を主宰する、『場を作り、人を育てる』方であったとのこと。
〇 晩年、アルツハイマー症になり忘れることが多くなっても、常に周りの人に「ありがとうねー」と感謝する『感謝の人』であったとのこと。
〇 東京で暮らしながらもふるさと四日市を愛し、四日市に戻りたい、と言っておられたとのこと(機会あるごとに四日市を訪れ、よく「なが餅」を買って帰っておられたようです)
〇 四日市が公害で有名になったことを残念に思っておられたこと。
多聞アンドリウ氏は、長く近くにおられたからこそ、具体的なエピソードを含めて文雄氏の人となりや魅力を豊かに語ってくださいました。
2005年4月に文雄氏が亡くなられた時には、文雄氏が好きだった『菜の花』を葬儀場にたくさん飾り、送り出されたそうです。
講演の最後に浜田小学校のことも触れてお話ししてくださり、講演後は記念撮影にも快く応じてくださいました。とても気さくで温かい、やはり素敵な方でした。

本日の講演で丹羽文雄氏の魅力に改めて触れることができ、浜田小学校に素敵な先輩がいることが誇らしく、その方に作っていただいた浜田小学校の校歌を、ますます自慢したくなりました。
その校歌をみんなで歌う『浜田小学校の150周年を祝う会』まで、あと1か月余りです。
