羽津小学校の歴史の最終回。新型コロナウイルスに関する内容を紹介します。学校沿革史には次のように記載されています。
令和2年3月「新型コロナウイルス感染症対策のための臨時休業」
4月「新型コロナウイルス感染症に係る臨時休業」
令和3年9月「新型コロナウイルス感染症に係るオンライン学習」
新型コロナウイルスの感染拡大から、四日市市立小中学校は令和2年3月5日から3月24日を臨時休業としました。
令和2年4月15日から5月17日を再び臨時休業とし、5月18日からの分散登校を経て5月25日から通常登校を再開しました。マスク生活の始まりです。音楽の歌唱や演奏、家庭の調理、理科の実験、体育の身体接触等が制限され、給食は黙食となりました。
令和3年9月1日から15日、自宅等におけるオンライン学習を実施。9月16日から17日の分散登校、9月21日からの通常登校(午前授業給食あり)を経て、9月27日から通常日課を再開しました。
令和4年度はそれまで以上に感染が拡大しましたが、症状が軽くなってきたこともあり、臨時休業や一斉のオンライン学習等の措置はありませんでした。
令和2年度から4年度の卒業アルバムを見ると、当時の学校生活の様子がわかります。
令和2年度卒業 自然教室は1泊。修学旅行は県内で1泊。社会見学なし。
令和3年度卒業 自然教室は1泊。修学旅行は県内で1泊。社会見学1回。
令和4年度卒業 自然教室は日帰り。修学旅行は京都で1泊。社会見学2回。
令和5年5月8日。新型コロナが5類感染症に移行され、学校生活での制限はほぼなくなっています。10月31日から11月1日にかけて京都に修学旅行に行きましたが、外国からの観光客も含め大変混雑していました。11月16日に参加した三泗小学校音楽会も、マスクを着けず、間隔を開けずに歌いました。長かったコロナ生活が終わった感じがします。
5月19日から毎日更新してきた「羽津小学校創立150年」のページ。お読みいただきありがとうございます。来週以降しばらくお休みします。
現在、令和6年5月10日の創立150周年記念日に向けて、記念事業の準備を進めています。記念事業の進捗状況や羽津小学校の歴史に関することなど、随時掲載していきますのでよろしくお願いいたします。
学校沿革史の令和元年から令和4年までの主な内容を紹介します。なお、新型コロナウイルス感染症への対応は除きます。
令和元年7月 「タブレットPC端末40台配置」
令和2年3月 「普通教室空調設備設置工事」
令和3年12月「マンホールトイレ設置工事」
令和4年8月 「南校舎大規模改修第一期工事」
令和2年度に普通教室にエアコンが導入されました。令和3年5月には環境省と文部科学省から「学校における熱中症対策ガイドライン作成の手引き」が出されるほど、学校における熱中症対策の必要性が高まっていました。
令和5年8月、南校舎の大規模改修により、校舎内のトイレの洋式化・ドライ化が完了しました。南校舎のトイレにはセンサー式の自動水栓が導入されました。
児童用タブレットPC端末は令和元年から配置が始まり、コロナの影響もあって国のGIGAスクール構想が前倒しされ、令和3年4月から全校児童に1台ずつ行きわたりました。同時に教室にワイヤレスネットワークとプロジェクタセットが配備され、児童用端末の画面を投影できるようになりました。令和4年9月には教職員にも1台ずつタブレットPC端末が配備されました。
沿革史にはありませんが、令和2年4月、羽津小学校は四日市版コミュニティスクールに指定されました。また令和2年度から全面実施となった学習指導要領で、中学年で「外国語活動」、高学年で「外国語科」が導入されました。
羽津小学校の沿革史から、平成20から30年代の主な内容を紹介します。
平成23年2月「北門アルミスライド門扉取替」
平成24年6月「渡り廊下2階部分転落防止ネット完成」
平成26年8月「北校舎改修工事」
平成30年4月「市教委指定教育推進校(道徳教育)」
北校舎の改修工事によりトイレの洋式化・ドライ化がスタートしました。併せてトイレ内の照明はセンサー式になりました。
沿革史にはありませんが、平成23年度から全面実施となった学習指導要領では、再び授業時数が増加するとともに、小学校5・6年に「外国語活動」が導入されました。またこの時期、電子黒板が導入されました。
【令和5年11月24日追記】
平成30年12月、本校は「守ってくれてありがとう運動」モデル校に指定されました。通学班の班長と副班長が持つ小さな横断旗と町代表の方が使う立哨旗、私が使っている大きい横断旗はこのときに刷新されたものだそうです。当時のPTA安全部長の方によると、指定を受けたのは本校が1校目で、翌年度に羽津北小学校が指定を受けたということです。この運動は横断歩道で止まってくれた運転手の方に子どもたちが感謝の気持ちを示すもので、四日市北交通安全協会と四日市市交通安全協議会から指定を受けました。毎年、横断旗講習会で引き継がれていて、「羽津小学校の子どもは渡った後に会釈をしてくれるので気持ちがいい」とほめていただくことがあります。
最近では、ほとんどのクルマが横断歩道で止まって歩行者を待つようになりましたが、当時の三重県ではそのような文化がなかったような記憶があります。
子どもたちの安全な登下校のために、羽津地区は先進的な取り組みをしていたのだと改めて思います。
羽津小学校の沿革史から平成10年代の主な内容を紹介します。この時期、コンピュータの導入と、防犯カメラの設置がありました。
平成10年1月「国旗掲揚塔塗装完成」
4月「嘱託研究指定(3年次)」
平成11年7月「コンピュータ室改修 コンピュータ10台設置」
平成13年9月「コンピュータ室 ノートパソコン41台設置」
平成14年9月「耐震補強工事」
9月「体育館バリアフリー化工事」
平成15年3月「防犯カメラ2台設置(北門・西門)」
平成16年6月「防犯カメラ2台設置(南門・西北門」
昭和から平成に移行する頃、パソコンが普及してきました。当時の学校では職員室に1台の校務用PC(MS-DOS)でワープロソフトOASYSを使っていました。やがて自前のノートPCを持ち込んで一太郎やLotusを使うようになり、平成7年(1995年)のWindows95、平成10年(1998年)のWindows98の流れを受け、一太郎からWordへ、LotusからExcelへ切り替えていった記憶があります。現在コンピュータ室に設置されているノートPC41台は令和元年(2019年)に更新されたもので、私たちが職員室で使う校務用PCと同じスペックですが、使う機会がなくなっています。
また、平成11年に京都市の小学校で、平成13年に大阪教育大学附属小学校で小学生が命を奪われる事件が発生しており、学校施設の防犯対策の必要性が高まっていました。現在羽津小学校では多くの防犯カメラが稼働しています。
学校沿革史に記載されてませんが、段階的に実施されてきた学校週5日制が、平成14年4月から完全実施されました。これに伴い授業時数が縮減されるとともに、「総合的な学習の時間」が創設されました。このとき「評価の充実」と称して、評定が相対評価から絶対評価に切り替わりました。さらに平成19年には全国学力・学習状況調査が開始されるとともに、後に廃止される教員免許更新制が導入されました。
平成6年の創立120周年以降は、周年行事は行われていません。これ以後の歴史について、学校沿革史から主なものを見ていきます。
平成8年2月「太陽電池式時計塔完成」
3月「中央昇降口並びにそれに伴う附属設備等の完成」
3月「東門門扉完成」
4月「嘱託研究指定(1年次)」
平成9年4月「嘱託研究指定(2年次)」
4月「南庭に太陽電池式ポール時計設置(寄贈)」
4月「低学年用図書室整備」
8月「運動場手洗い場バックネット裏へ移設」
現在、子どもたちが出入りしている中央昇降口が完成しました。
屋外に設置されている2つの太陽電池式時計。いずれもこの時期に寄付していただいたものです。平成9年4月に設置されたポール時計は、長い間故障していましたが、令和5年6月10日(偶然にも時の記念日でした)に時計ごと交換修理しました。
ところで、平成4年の2学期に始まった月1回の学校週5日制。学校沿革史には記載されていませんが、平成7年4月は月2回という形で段階的に進んでいきました。
平成6年5月、羽津小学校は創立120年を迎えました。学校沿革史に次のように記載されています。
平成6年5月「創立百二十周年記念式典と祝賀会開催(5月9日(月)) 記念事業として学年学級菜園の造成、記念植樹(かえで7本)、航空写真と全校児童職員の写真を刷り込んだ下敷きを児童に配布。実行委員長(平成4年度PTA会長)宮田清志氏。」
この式典の様子も収めた「百二十周年記念誌」が発行されています。この記念誌によると、記念事業は次の5つでした。
1 記念品
・航空写真入り下敷き(児童用)
・湯呑みペアセット(式典参加者用)
2 記念植樹(楓)
3 学校菜園・花壇の整備
4 120周年記念誌
5 記念式典
また、記念式典の式次第は次のようなものでした。
一 開式の辞
一 校歌斉唱
一 学校長挨拶
一 実行委員長挨拶
一 PTA会長挨拶
一 来賓祝辞
・教育長祝辞
・連合自治会長祝辞
・同窓会長祝辞
一 来賓紹介
一 祝電披露
一 百二十周年記念事業目録贈呈
一 閉式の辞
児童合唱
「気球に乗ってどこまでも」(5・6年)
「春の風」(5年)
「旅立ち」(6年)
学校沿革史の昭和60年から平成5年の内容を紹介します。(今はない遊具の設置や小規模な工事等は省略します。)
昭和60年2月 図書室(高学年用)、図工室、低学年用図書室改修工事完了
昭和60年4月 文部省指定「体力つくり指定校」となる(3年間)
昭和60年8月 運動場北側フェンス完成
昭和62年10月25日 文部省指定「体力つくり指定校」の発表を行う 県下及び近府県より参加あり 約190名
平成3年4月 市指定「安全教育の指定校」となる
平成4年9月 学校週五日制導入により、9月より毎月第二土曜日が休校となった
平成5年2月 平成4年度東海三県学校図書館奨励賞で三重県知事賞を受賞
平成5年8月 運動場東フェンス沿いに砂止めのための低木植樹
図書館の整備が知事賞の受賞につながっているのがわかります。
平成4年の2学期から、月に1回、土曜日が休校になっています。私が小学生の頃は、学校は週六日制でした。途中で五日制に変わった子どもたちは、うれしかったでしょうね。
昭和50年代の後半、羽津幼稚園の移転と羽津北小学校の分離がありました。
羽津幼稚園は羽津小学校の講堂を間仕切りして設立されました。羽津幼稚園の要覧に次のような沿革が記されています。
昭和40年4月 羽津幼稚園設立(羽津小学校の講堂を間仕切り)
昭和40年12月 新園舎完成
昭和46年4月 小学校教室借用5学級
昭和46年10月 小学校3教室を幼稚園に移管
昭和55年3月 大宮西町に新園舎完成移転
昭和55年に完成したプールと昭和56年に完成した屋内運動場(体育館)は、羽津幼稚園の跡地にできたものです。
また、羽津北小学校の分離について、学校沿革史には次のように書かれています。
昭和57年4月1日 羽津小学校は昭和56年5月1日現在1,450人の児童を擁する大規模であった。その為の教育施設が充分でない為、分離する件について昭和54年度当時より行政面からも施策されていた。校地の造成も昭和54、55年と両年に実施され、校舎が56年度竣工を見て羽津北小学校として開校される。この事業を昭和57年3月31日に終わる。分離し、新設校となった学校は、校名 四日市市立羽津北小学校(四日市市羽津500番地) 児童数(男284名、女307名、計591名) 職員(市職も含め)28名
羽津幼稚園の移転、羽津北小学校の分離により羽津小学校の過密状態が解消されたようです。
昭和50年代後半、施設設備がさらに充実していきます。PTAから寄贈され、今でも使われているものが多く、驚きました。また、この時期に小学校の教育課程が改訂され「ゆとりの時間」が生まれます。沿革史を見てみます。
昭和55年4月1日 小学校教育課程改訂実施 通称ゆとりの時間新設
昭和55年7月15日 永久プール完成
昭和55年10月1日 中庭にプレハブ教室(陶芸教室)完成(桜台小より移築)
昭和56年3月5日 屋内運動場完成につき落成式挙行
昭和56年3月20日 西通用門完成(新体育館玄関への出入口)40万円(PTA負担)
昭和56年3月25日 旧講堂とりこわされる
昭和56年5月30日 屋内運動場(体育館)の北側及びプール北側・東側におよぶ擁壁63m完成
昭和56年8月20日 旧講堂あとにバスケット・バレー兼テニスコート完成(105万円PTA負担)
昭和57年3月15日 体育館前築山完成(PTAの寄贈88万円)
昭和57年3月30日 玄関前及び北門からの通路の舗装(PTAの寄贈100万円)
昭和57年3月30日 旧講堂あとのバスケット・バレー兼テニスコートの防球ネット完成(PTA寄贈80万円)
昭和58年3月30日 プール横に水生植物園用池三面完成(PTA寄贈309,150円)
昭和58年8月20日 職員室東側通路舗装(PTA寄贈83万8千円也)
昭和59年3月 運動場築山完成(PTA寄贈)
昭和59年7月 運動場整地工事完了と散水装置完成(PTA寄贈225万円)
昭和50年代前半、現在の給食調理室、南校舎、擁壁、北門等が整っていきます。学校沿革史を見てみます。
昭和50年5月31日 給食調理室竣工
昭和51年3月 管理棟、特別教室、普通教室(鉄筋コンクリート造三階建)竣工
昭和51年3月 国旗掲揚塔新装移設 寄付 紳友会
昭和53年8月31日 土止めブロック擁壁完成(運動場東 正門より北約50米)
昭和54年3月15日 北通用門柱完成(320,600円 創立百周年記念事業費)
昭和54年8月31日 校地北側ブロック擁壁完成(北通用門より東約60米)
南校舎の東側半分が完成。職員室、保健室、校長室、湯沸室、放送室、理科室、家庭室、音楽室、普通教室が鉄筋コンクリート造の南校舎に収まりました。これに伴い、木造校舎とプレハブ教室が撤去されたものと思われます。
国旗掲揚塔は寄付により現在の場所へ新装移設されています。現在、羽津小学校で最も古いものは、昭和8年に寄付により設置されたこの国旗掲揚塔だと思います。以前に紹介しましたが、この新装移転のときに塔のてっぺんに設置された金色の球体は、よく見るとガスボンベを加工した手作りのものであることがわかります。
北通用門柱の設置も、創立百周年記念事業の一環でした。