四日市市立保々中学校
                                                             校 歌                作詞/山口誓子 作曲/伊藤亘行 
一、行きゆくは    二、ともどもに    三、道遠く
     八風街道       機械動かし      行きて学ぶに
    山越えて       ものつくる      よろこびて
      行きてはるけし    ことのよろこび    ものをつくるに
    かくあるよ      若くして       すこやけく 
     学びの道も      吾らも知れり     吾らはあらん
    かくあるよ      若くして       すこやけく
     学びの道も      吾らも知れり     吾らはあらん

512-1035 三重県四日市市西村町2787-2 電話:059-339-0034/059-339-8000 FAX:059-339-8001
 
 

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2020/06/18

四日市空襲犠牲者追悼

| by 管理職
 今年は中止になりましたが、今日6月18日には例年、鵜の森公園の四日市空襲殉難碑前で四日市空襲の犠牲者慰霊献花式が行われています。
 1945年6月18日から8月8日までの間に四日市市街に9回の空襲がありました。
 当時、四日市市には海軍第二燃料廠をはじめ多くの工場群があり、アメリカ軍の重要攻撃目標とされていました。1945年(昭和20年)6月18日午前0時45分、アメリカ軍B-29戦略爆撃機89機が焼夷弾11,000発・567.3トンを投下。人的被害は、被災者47,153人、死者736人、負傷者1,500人、行方不明者63人。約1時間の絨毯爆撃(じゅうたんばくげき)で全市の35%が焼失、市街地は焦土と化しました。全空襲による人的被害は、被災者49,198人、死者808人、負傷者1,733人にのぼりました。
 保々中学校でも犠牲者を追悼し、半旗を揚げ、9時には職員室で1分間の黙とうをしました。



当時の写真を見つけました。

   四日市空襲直前の四日市市街          四日市空襲直後の四日市市街        2018年現在の四日市市街

09:30