昨年度、国語の短歌の学習の最後に「七夕にちなんだ恋の短歌」をつくり、その作品を掲示しましたが、今年は俳句の学習の最後で「七夕にちなんだ恋の俳句」をつくりました。昨日の国語の授業で清書が完成しましたので、1階生徒昇降口から入ってすぐの場所(中央廊下)にある掲示板に張り出しました。今年もなかなかステキな作品が集まりました。三者懇談などでご来校の際には、ぜひ見てあげて下さい。以下は、同時に掲示した文章です。
「七夕に寄せて」
今年も七夕がやって来ました。三年生の国語では、去年に引き続き「七夕にちなんだ恋を詠む」という授業を行いました。今年は俳句での創作です。短歌に比べてとても短い五・七・五で作らなければなりませんので、かなり苦労しましたが、頑張って完成させました。どうぞ見て下さい。
ところで、みなさん、知っていますか。実は織り姫と彦星は恋人ではなく、夫婦なのです。知っていそうで知らない七夕の伝説ですが、今年もちょっとこれについて触れてみます。
この話は、元は中国で作られ、日本に伝えられたもので、日本のお話ではもっぱら「織り姫と彦星」という名前で語られていますが、元々は「織女と牽牛」、すなわち「こと座のベガ(織女)」と「わし座のアルタイル(牽牛)」。織女は天帝の娘で、季節によって彩りを変える不思議な布を織る娘でした。天の川の東側に住み、一心不乱に機織りを続けていた織女でしたが、仕事のみに青春の日々を費やしている年頃の娘をかわいそうに思った天帝は、天の川の西側に住む牛飼いの青年と結婚させようと思いました。天帝の目に留まった、この働き者の青年が牽牛です。そして二人は夫婦になり、幸せな生活を始めたのですが、織女はこの新しい暮らしに夢中で、すっかり機織りの仕事をしなくなってしまったのです。天帝も最初のうちは、二人をあたたかく見守っていたのですが、そのうちとうとう腹を立て、娘に「おまえは機を織るという使命を忘れてしまったのか」と厳しく怒り、二人を引き離してしまいました。ただし、「今後、心を入れ替えて仕事に励むなら一年に一度だけ、七月七日の夜に牽牛と会うことを許してやろう」と付け加えました。
こうして二人は1年にたった一度だけ会う日を励みとして仕事に精を出すようになったわけです。この日は上弦の月がかかり(旧暦ですが)、その上弦の月を舟に見立てて、この舟に乗って織女は天の川を渡るという伝説になっています。ただし、この日に雨が降ると天の川の「水かさ」が増して織女は川を渡れません。月の舟の番人も舟を動かしてくれないわけで、二人は天の川の対岸の相手に思いを馳せながら涙する一日となってしまうわけです。
ちなみに「こと座のベガ」と「わし座のアルタイル」は天の川を隔てて15光年の距離にあります。一度、天文学的な関心事としても調べてみて下さい。
また、七夕と言えば笹竹の飾りがすぐに頭に浮かびますが、これがそのまま前述の七夕伝説と直結するものではないようです。この伝説とは別に、日本の農村部では古来、旧暦七月十五日を祖先の霊を迎える日とし、麦や雑穀を供えていたようですが、この時、笹を使いました。真っ直ぐに伸びる笹は神様や祖先の霊魂を招くものと信仰されていたようです。また、祖先の霊魂を招いた時の穢れが笹竹に移るので、供えた後の笹竹を川や海に流す習慣ができたと思われます。さらには、川のほとりに棚を設けて機を織る「棚機つ女」の伝承があることも国語の教科書に載っています。
私の知識不足でこれ以上の詳しいことが書けませんが、この農村部の行事が、七夕の行事とお盆の行事にそれぞれ分かれていったのではないかと想像しています。ちなみに短冊に願い事を書くようになったのは江戸時代くらいからだと言われており、本来、短冊は五色であり、これは「木・火・土・金・水」の五行説に基づいているとも言われています。笹竹にこの短冊を付けた飾り物を6日の夕方に飾り、7日の夜には外すのが一般的で、上記したようにかつてはこれを川や海に流しましたが、現在ではこの慣習も薄れてきました。
さて、今年も七夕は天気が今ひとつのようですが、天上の世界の織り姫と彦星はどのような気持ちで過ごしているでしょうか。私たち現代人も七夕くらいは夜の空に想いを馳せて、静かな時間を過ごしたいものですね。