昭和20年(1945年)6月18日午前0時45分、四日市の街中に焼夷弾(発火性の薬剤を入れた爆弾。家や工場などを焼き払う目的で使用)が落とされました。
真夜中の約1時間半にわたる無差別攻撃で、使われた焼夷弾は11,000発を越え、市全体の約3分の1が焼失し、焼け野原となりました。
この日以来、8月8日まで合計9回の空襲があり、工場をはじめ、市街地は壊滅的な被害を受けました。

これらの空襲での人的な被害は、死者800人以上、負傷者1700人以上、被災者49,000人以上と言われています。
明日、6月18日は、四日市空襲から75回目の6月18日となります。
中学校でも半旗を掲げ、哀悼の意を表し、平和を祈念したいと思います。
ご家庭でも、平和を考える1日にしてみでください?
挿絵は
「四日市にも戦争があった ~四日市空襲の記録~」
編集・発行 四日市空襲を語りつぐ会
から、許可を得て、掲載しました。