3年生より

 もうひとつの学年通信 N0.24 2008.2.13(水)2008.2.13
『仕事』というもの、そして『幸せ』というもの
 寒さに震える日があったり、暖かい日差しのある日があったり。暦の上では立春が過ぎたものの、冬と春とを行き来しているようなお天気です。先週までに私立高校の入試・合格発表がほぼ終わり一段落です。今週は、県立高校前期選抜の内定発表、また今週から来週にかけて三者懇談会があります。そして、月末に県立高校後期選抜の出願を終えると、いよいよ卒業が目の前ですね。
先日、どのクラスも「卒業まであと何日」という日めくりを作りましたが、近づいてくる卒業に向けて、そのお手製の日めくりを毎日見ながら、同じ教室で同じ空気を吸って生活している仲間とともに、有意義な毎日を過ごしてほしいと思います。
   
 さて、最近ニュースで世間をにぎわせている食品偽装・偽造問題。毎日私たちの口の中に入る食べ物、見逃すわけにはいかない深刻な問題です。食品偽装・偽造に関しては最近でこそとりざたされているとはいうものの、これも氷山の一角という見方は少なくありません。
ところで、私が親しんでいる雑誌によく登場する松下幸之助氏(松下産業株式会社の創業者、National,Panasonicといえば、知らない人はいないでしょう。)のことを少し紹介します。松下幸之助氏は明治27年に生まれ、94歳でその生涯をとじるまで、松下電器産業を創業し、世界的企業に成長させました。 
また彼は、もちろん企業家として成功した人でもありますが、その生き方や考え方が、そのときどきにすばらしい言葉を残し、後々にも受け継がれています。その名言をひとつ紹介します。

「仕事をするにあたって、まず心を磨くというか、ものの考え方を成長させる必要があります。」

 自分を活かすために、どういう心で仕事に取り組むか、何を目指してどう考え、どういう気持ちで仕事をするか、人(お客様)の利益をいかに考えられるか、人を喜ばすには、人の役に立つには、社会に貢献するには、・・・。仕事をする人の心・考え方によって、その成果は大きく変わるのでしょう。人の利益を考え、自分を活かして仕事ができるように、自分の心を磨いていくことが大事なのではないでしょうか。
自分の心の成長が自分の幸せとまわりの人の幸せにつながるのではないでしょうか。
食品偽造・偽装事件も、人の幸せを考え、磨かれた心で仕事をしていれば、起きないことでしょう。
 みなさんが、将来どんな職業についても、見失ってほしくないことです。

 写真は昨日の1組『私の答辞』学級発表会の様子
 明日はいよいよ各クラスの代表者が、『私の答辞』を学年で発表します。

 もうひとつの学年通信 N0.23 2008.2.12(火)2008.2.12
●● 若者たちは全力で生きている - B ●●

か っ こ い い や つ
格好(かっこう)良い人                    
「格好良い人=かっこいいやつ」について書きました。読んでください。アメリカの大統領予備選挙が始まった。ダンに,「ヒラリーとオバマ,どっち?」と聞いた。
迷いなく「オバマ!」と答えた。初めての黒人大統領が誕生するかもしれない。テレビでオバマさんを観たり,新聞の記事を読んでいて,ケネディ大統領の映像が浮かんだ。共通するものがある。「かっこいい」のである。オバマさんの変革を掲げる語りの基調には,理念や理想があるように思う。そのあたりが,ケネディ大統領と重なり合うのか。
 「かっこいいやつ」を私なりに挙げてみた。市川房枝,岡林信康,小田実,ガンジー,キング牧師,チャップリン,マザー・テレサ,宮沢賢治など。この人たちにも,理念や理想,哲学のような人間的資質がある。彼らは人間について深く考え,個人と社会のよりよいあり方を追究した。「かっこいい」は,そのあたりに由来するように思う。イチローとはまた別の「かっこいいやつ」たちである。

かっこいいとは
 私は美術科の教師なので,例えば,ダ・ヴィンチ,ピカソから考えてみる。前者は,
だれもが認める大天才。模写が不可能ほどの傑出した技量はもちろんのこと,科学研究や発明の領域にも優れた足跡を残している。今の時代に生きていたなら何をしているかなあ。しかし,「かっこいい」と感じるには,あまりに遠すぎる。後者のピカソ。美術のために生まれ,生きてきたような人だ。有り余る才能の持ち主であり,その才能も比較的早い時期に認められた。立体派の創始者として20世紀美術の重いドアをこじ開けるという大きな仕事や,「ゲルニカ」のように内容とメッセージ性において価値のある仕事も成し遂げている。が,「かっこいい」けど,生き方などに尊敬できないものも少なくない。一方,レンブラントやゴッホは十分に尊敬できる。でも,「かっこよくない」人たちだ。そうすると「生き方がスマートですばらしい仕事をし,世の人々が憧れ尊敬できる人」が,「かっこいいやつ」なのか。しかも,みんな特別の人たちだ。私は,違うと思う。
身近にもいるぞ,かっこいいやつが 話が長くなってしまった。気づいてほしいことや分かってほしいことは,あなたのまわりにたくさんの「かっこいい」があるということだった。この人間的資質は特別な人のものではない。私たちのまわりにも「スマートですばらしく,憧れ尊敬できる人」は,たくさんいる。すべての人が,その生き方で「かっこいいやつ」になれるのだ。仲間に声をかける人,反差別の立場から「やめよう」と言える人,だまって行動できる人,日々の仕事をきちんと行う人,人のがんばりが分かる人など。そんなことを伝えたかった。

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若いお父さん                          
 T先生のことを少し書こう。昨年の夏,一度電話があった。元気にやっているようだ。私からすると若者だ。彼には家庭がある。若いお父さんだ。朝明中学校で知り合い,1年の間机をともにした。忘れられないことから。武道場でスクリーンや視聴覚機器を使うことがある。その日は1時間目に計画されていた。出勤すると,彼はいつものように黙って授業の用意をしていた。1限目の準備のことを話題にすると,ボソッと「もういいですよ」というようなことをつぶやいた。彼がひとりで武道場を開け,すべての機器を運び,セッティングもしたのだ。「私がやった」とか「私はできる」とかを出さない若者だった。

 夏の日,春の日                                7月。その日,彼はとてもやつれていた。疲れが全身に出ていた。
今年も暑い夏がやってきたのだ。やつれと疲れは,自分と家族のための闘いからくるものだった。学校の業務をきちんとこなしながら,目標に向かい全力で生きる若者が,私の前にいた。3月。あなたたちへの思いや私たちへの提言(ていげん)を綴(つづ)ったB4用紙を残し,この学校を去っていった。その紙には全体をきちんと視野に入れた上での,彼の考え方や感じ方が書かれていた。

最後までかっこいいやつだった。
雪 の 日 に
旅 日々生き暮らしていて,始まりから終わりへとまとまる生活を旅にたとえることがある。間近に卒業を控えたみなさんにとって,中学校での3年間は旅そのものではないか。そして,長い航海の後に懐かしい港を視認した船員や,峠から眼下に広がる町並みを見下ろし,額の汗をぬぐう若い商人と同じく,みなさんも旅人である。
みなさんの眼に映るのは,もちろん未来であろう。

「積もるぞっ!」
 2月9日,川越中学校の体育館でのこと。練習試合中,久居中の教師がそわそわしだした。外をうかがい,携帯電話で何事か頻繁(ひんぱん)に連絡を取り出した。急な大雪と積雪に気づいたのだ。実際,湿って重そうな雪が「積もるぞっ!!」と言わんばかりの勢いで降り続いていた。校庭が一気に白くなる。だれもが帰路を気にしだした。午前中で練習試合を切り上げ,館内で昼食を済ませた後,富洲原駅まで車で送ることにした。 ところが1号線が動かない。救急車も2度ほど北に向かった。「事故があったんやろか」。不安になるし落ち着かない。いらいらもする。駅まで20分,駅から15分。そんな感じだった。体育館の玄関に待たせた次のグループが気になってしょうがない。急いで玄関にもどると,髪の毛を硬く濡らして雪合戦をする彼らがいた。やれやれ元気だ。子どもとはそんなものか。最後の3人を駅に送る。曇りのとれないフロントガラスから神経質に前方を見ながら,「今は,小さな旅の途中なのか」と想う自分に気がついた。

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餃子とラーメン     
2年半の部活動を終えるにあたり,県内外にバレーの強豪校を訪ねることが多かった。そういうときの「たどり着いた今」が,いつしか私に旅を想起させるようになった。
 部活動に対する考え方や構えは,昔の私と今の私とではまったく異なるものの,人と人が共通の想いを胸に同じ時空を流れていることに違いはない。
 この日,大雪という非日常もあってか,久しぶりに旅を想った。
車は雪に覆われ,後ろ半分がかまくらの内部のようになっている。そんなグレーの薄明かりの中,部員たちは興奮気味によくはしゃいだ。国道沿いに中華飯店を見つけては,「餃子食べたい」「餃子とラーメンは最高に合う!」
とか「醤油ラーメンはきらい」など。カーステレオからもれ聞こえるイーグルスの曲に敏感に反応したI君。
「この音楽はかっこいい!」と手拍子を打つ。唄でははないが,「子どもたちの(今と)未来が踊る」。手拍子に笑いが混じる彼らの会話が,今日は少しだけ遠くから聞こえてくるように感じた。

この日の朝明中学校の男子バレーボール部は,久居中学校に全敗。
川越中学校からは,何と1セット勝つことができた!勝つためではなく,強くなるために旅をしている。そんなふうに思える雪の日だった。

 写真は6組の今日の様子

 もうひとつの学年通信 N0.22 2008.2.8(金)2008.2.8
償  い
 時間割の都合上次回になるところもありますが、多くのクラスで「私の答辞」の発表が始まりました。卒業式での答辞は代表がひとり読むだけだけど、誰もがその人だけの中学校生活を歩いてきたのだから、自分にしか書けない答辞を学級で発表して、きちんと朝明中学校を卒業していってほしいと思っています。
発表を聞いていて思うことは、みんな本当に成長したなあという一言に尽きます。「あの時、そんな思いでいたの?」「そんな風に思っていてくれたんだなあ・・・」「私も同じ思いだよ!」一緒に生活していても知らないことが多くて、今更ながら感動しています。
どのクラスもとても素敵な発表をしていて、この寒空の中ではありますが、あったかい空気がクラスを包んでいると聞いています。
 私は3年間みんなと生活をしてきたので、できることなら学年の全員の答辞を聞いてみたい心境です。国語教師のくせにこんなことを言うのも変ですが、やっぱり文章は「心」です。少々文法が違っていても、漢字を間違っても、「あふれる心」に勝る名文はないと思います。
                                    (注@参照)
 何年か前の話ですが、卒業前に「私の答辞」と同じような作文を書いてもらったことがあります。ある生徒の作文でしたが、私はそれを読んだ時に猛烈に後悔をしました。その話をします。
 その作文を書いたのは「Tちゃん」。笑顔のかわいい女の子でした。ただ、その子は学校では一言もしゃべることができません。家ではとてもおしゃべりだそうですが、保育園以来、学校や先生、親しい友達ともしゃべることができなかったのです。私は2・3年と彼女の担任をしましたが、懇談はいつも筆談でした。よく笑っていましたが、誰ひとり笑い声を聞いたことがない、そんな生徒でした。
 2年生で担任を受け持ったとき、「彼女をひとりにさせない!」と誓いを立てました。気のいい生徒が多いクラスで、すぐにサポートしてくれました。授業で彼女が指名されると、横の生徒が彼女のノートを見て「これでいい?」と確認して答えました。クラスのムードメーカーでお調子者のS君などは彼女が横の席になると、彼女が指名されると「ハイ!」と元気良く返事をするので、みんなが爆笑していました。その横でうれしそうなTちゃんを見て、彼女がこのクラスに溶け込んでいることを、私はほほえましく見ていました。
 そして、卒業が目の前に迫ったある日、3年間の思い出を作文にしたのです。
 Tちゃんの作文は、自分と真正面から向き合ったものでした。ずうっと学校でことばがでないこと、みんなの気持ちがすごくうれしかったことがつづられていました。しかし、最後にこんな言葉があったのです。
「私ハ、イツノマニカ、声ヲ出サナイコトガ、当タリ前ニナッタシマッタ。ソウイウ自分ヲ変エテイキタイ。」
 私はこの子の何をみていたのだろうと思いました。「この子は声を出せる自分になりたかったのだ。大声で笑う自分になりたかったのだ。それなのに、周りのサポート体制にばかり心を費やしてきた。初めこそしゃべらせる努力はしたものの、あきらめてしまったのは私だ。声を出す機会をうばってしまったのは、私かもしれない・・・」私は猛烈に後悔しました。私のそんな後悔など知る由もなく、彼女は卒業していきました。「ガンバリマス」という筆談を残して・・・。
 それ以来、私は少し、変わりました。
何かでつらい思いをしている子、いやな思いをした子に「自分の思いをしゃべりなさい。自分の口で、私メッセージで言いなさい。」と言うようになりました。周りの体制を整えることは大事です。でも、その人の成長なしに体制を整えることが、その人の変革をも奪ってしまうことになりかねないと思えたからです。時には泣いている子に、みんなに向かって「しゃべれ」といい、そっとしておいてほしいという思いで迷っている時にも「しゃべれ」といい、それが結果として、よかった時もあればそうでない時もあったと思います。
 しかし、それが私のTちゃんに対する「償い」なのです。
 個人の成長と集団の成長。車の両輪のようです。どちらが滞ってもまっすぐ走ることはできません。どちらもバランスよく成長してほしいと思います。
 大丈夫!!みんな自分の言葉で自分にしかできない発表をしていました。
学年発表会を楽しみにしています。

注@:そうか!と思ってくれた素直なあなたへ。だからといって、国語の作文で文法や漢字を間違ってもいいかというとそうではない。いつものテストのように減点されるので注意するように・・・

 後日譚・・・Tちゃんとは、その後、成人式後の同窓会で再会します。同窓会会場にきれいな振袖姿でやってきました。先に到着していた私は、彼女がドアを開けるなり、「Tちゃん!ひさしぶり!!素敵な振袖やねえ。ねえ、今、何してるの?」と言いました。まわりの元生徒は凍りつきました。ガヤガヤした会場の一角だけに一瞬の静寂。「・・・・・・○○ノ、フルーツ売リ場デ働イテイマス・・・」それは、小さな小さな声でした。二十歳の女の子に不似合いな低い低い声でした。「あーーー、初めてTちゃんの声きいたわー。」といって抱きつくと、彼女の目が潤んでいました。その後、彼女がみんなと談笑している姿を見て、長い長い宿題がやっと終わったと思いました。

 もうひとつの学年通信 N0.21 2008.2.7(木)2008.2.7
気がつけばもう2月。時の流れの速さに少しびっくり…。ついこの間、3学期が始まったばかりなのにと思っているのは私だけでしょうか。

 今日はこの質問を…

 『このまま卒業していいの?』さて、あなたは何を考えるだろうか。それとも、『先生何言ってんだろう??』と感じるだろうか。はたまた、『そんなことは言われなくともわかってる』だろうか。時間というものは決して逆行はしない。止まることもない。そして、時間とともに変化するものもたくさん存在する。中には劇的な変化を遂げるものもあれば、どこが変化したかわからないようなものもある。
 私達が生活している環境は、普段は緩やかな変化を続けている。毎日同じような日常の繰り返しに見えるかもしれない。しかし、じっと耳を澄ませば、目を凝らせば、感覚を研ぎ澄ませれば…そう、見えてくるものも多い。

 皮肉にも、修学旅行、体育祭、文化祭、合唱コンクールに取り組むと、耳を澄まさずとも、目を凝らさずとも、感覚を研ぎ澄まさずとも見えてくることがたくさんあり、その都度考えさせられることがでてくる。「最初はまとまりがなく・・・・」「みんなやる気がなくて・・・・」などなど。
 普段は見えないのに見えてくる。この違いは何なのか…。あなたが当事者かどうかの違いなのではないだろうか。自分事≠ニ他人事≠フ違いなのではないだろうか。

 朝の読書に始まり、帰りの学活で終わる一日。少し振り返ってみよう。
 8時30分に読書がはじめられる状態になっているか。読書をしているか。朝の健康観察、きちんと申告しているか(形だけのものは委員に失礼)。ベル席はどうか。昼食の時間は守られているか。清掃に遅刻していないか。清掃を怠けてはいないか。帰りの学活はすぐはじめられるか。集配物の扱いはどうか。
 この他にも、挨拶、教室などで前に人が立ったときの聞く態度、ゴミの処理、トイレの使い方…。
 平穏に見えても、実は誰かの頑張りで保たれていることも多いはず。
 これらのことがおろそかになると、知らず知らずに熱のない集団になっていくわけである。これは大げさなことではなく、本当のことである。
 当たり前のことができなかったりすること経験あるでしょ?
 当たり前のことができなくなると、その集団の常識は社会の非常識になることをお忘れなく。
 写真は2年生のときのバレーボール部女子

 もうひとつの学年通信 N0.20 2008.2.6(水)2008.2.6
カレーを食べると脳内血流が約4%増加する・・・・・・なんのこっちゃ、と思う人もいるかもしれない。もう少し簡単な言い方にするとこうだ。

「カレーを食べると頭が良くなるらしい」

そう言われるとついつい先を読んでしまう。カレーを食べると脳が活性化して、集中力や計算力がアップする、という研究結果が出てきているらしい。つまりカレーを食べると脳内の血流量が増加して、集中力や計算力があがることが分かったという。 脳内の血流量が増加することで、脳の中の「情報処理」を担当する部分の働きが活発になる、すなわち集中力や計算力がアップすることが期待できるらしいのだ。

 カレーに含まれているいくつかのスパイスがその効果を発揮させてくれるらしく、市販のルウにも十分含まれているので、家庭で作るカレーでも受験生の「味方」になってくれそうだ。

 それも、朝カレーを食べるのがいいらしい。受検は朝(午前中)から始まるので、カレーのスパイスにより脳内を活性化させる必要があるのだ。

 受験生、と限らなくてもこの朝カレーを実践している人がいるもので、その人の名はイチロー。彼はメジャーに移籍してから7年間ずっと朝にはカレーを食べている。それも同じ味でなければいけないらしい。そんな食へのこだわりが、今みんなが知る大記録を生み出す原動力となっているのだろう。
松井秀喜もまたカレーにこだわりを持つ一人で、母親の作るカレーが世界一らしい。どこかの食品会社は、松井の実家まで赴き、母親にカレーを作ってもらいそれを研究しレトルトカレーとして売り出したことがあるそうだ。
 それを続ける、あるいは信じる、ということが、パワーの源になるのだろう。

最近買い物に行くと、季節の風物詩となりつつあるものを目にする。うカール、キットかつト、Toppa、キッチリトール・・・・・あなたたちも験かつぎに、お菓子を食べながら勉強している人もいるのだろうか。残念ながら、それらを食べたからといって合格間違いなし、でないことは明らか。カレーも同じことで、食べたからといっていきなり難問がとけるということはない。今までの努力、今までの勉強の積み重ねが難問を解く鍵となる。頭の回転を高める「カレー」「うカレー」という願いもこめて試してみてはいかがですか。
 この写真も昨日の『私の答辞』学級発表会の様子
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