3年生より

 もうひとつの学年通信 No.19 2008.2.5(火)2008.2.5
「罪を認める勇気」
 
 少年・少女のグループが、公園で酔って寝ていた会社員から財布を盗み、捕まったという事件がありました。そしてその少年・少女グループの15〜17歳の少年・少女が、警察での取り調べで、    「酔って公園で寝ているのが悪い」と逆切れし全く反省の様子がない、という記事を読みました。

 いい大人が酔って公園で寝込んでしまった、ということも確かにほめられたことではありません。 しかし「人の財布を盗んだ」という自分たちの犯した罪に対して、「酔って公園で寝ていたら財布を盗られてもしかたがない。だから自分たちは悪くない。」と「無罪」を主張する彼らの理屈は明らかに 「おかしい」のですが、なかなか彼らにはそうは思えないようです。

 思い出すのは10年近く前の事件です。高校生の男女数人が、公園で寝泊まりしているホームレスの人を襲い殺害してしまったというその事件では、高校生たちが「公園に寝泊まりしているホームレスの人たちが悪い。社会に迷惑をかけているのはホームレスの人たちだ」と取り調べで話したことが大きなニュースになりました。今回の事件と同じです。

 このような話は、周りをちょっと探せばいくらでも見つけることができます。自転車を盗んだ中学生が、「盗まれたくなければカギをかけておけばいいじゃないか」と開き直ったり、注意をした先生を殴った生徒が「先生の注意のしかたが悪い」と責任を転嫁(てんか)したりします。喫煙を注意された中学生が「吸わせたくなければタバコを売るな。タバコを売っているのが悪い」と平気で言い返したり、授業中にDSで遊んでいるのを注意された児童が「文句があるならDSを買った親に言え」と悪びれることなく言ったりします。

 人はだれでも自分の失敗やあやまち、罪を認めたくはありません。失敗やあやまち、罪を認めることはとても辛いからです。できることなら逃れたいと思いますし、人のせいにしたいのです。自分の行動を正当化したいと思うのです。そうすることができれば、気持ちも楽になります。自分を正し、律する努力をする必要もありません。しかしそれでよいのでしょうか?

 ぼくはどんな理由があるにせよ、あやまちや失敗、罪は「認めなければならない」ものであり、それに対する「償い」も必要だと考えています。ですから、自分の失敗やあやまち、罪を人のせいにして反省もせず、「あれはしかたがなかった」と勝手に納得したり、「当然じゃないか」と開き直ったり、「あいつが悪い」と人のせいにするようなことがあってはならないのです。辛いことですが、自分のあやまちや罪を認め、それをステップにしてもっと成長していこうという勇気(あえて勇気と書きます)が人を成長させていくのだと信じます。

  神奈川の少年・少女たちにもそんな気持ちが芽生えることを願ってやみません。

 写真は今日の6限目『私の答辞』学級発表会の様子

 学年通信 N0.27号 2008.2.4(火)2008.2.5
●● 学級の常ならぬ静けさ ●●

1月末日
 4組の教室が常ならぬ静けさだ。コッコッコッとシャーペンを走らせる。時折鼻をすする音が混じる。ポツポツと空席が目立つ教室で,黙々と課題と取り組む。今日は,海星とメリノールの入学試験。登校している生徒たちが,ひたすら自分に集中する。数えてみた。25人の若者たちが,目前に迫る闘いに備えている。「25の透明な孤独」があった。でも,不思議なことにバラバラではない。
孤独ではあるが,孤立してはいない。これが学級というものか。

●● そんなあなたたちに問いたい ●●

「終わる」のか「終えるのか」
 今,あちこちで「あと○○日」という表示を見る。3限目は1組に入った。黒板の横に「あと 26日 2/1(金) クラスの人へひと言 みんなおもしろくて楽しかった 残り26日がんばろ〜」と張り紙があった。これはこれでいいものだ。卒業を控えて,この時期に特有の意識がみんなに広がってるんだなあ。残された日々を惜しみつつ,しっかりと過ごしてほしいものだ。 
ところで,卒業の日をただ待つのか,それとも大切なことをやり残している現実をしっかりと見つめて,直ちに行動を起こすのか。そのあたりは大丈夫かい。あなたたちの問題意識に,決定的な見落としや欠落がありはしないか。今一度まわりをよく見てごらん。見て見ぬふり,見過ごし,放置などがありはしないか。卒業という文字は,「本当の仲間としてつながったよ!」というみんなの生き方からできている。その生き方こそが,卒業という文字の背骨であり主成分と,私は考える。この考え方からすると,ただ「終わる」だけでは,みんなが望む素敵な卒業に至ることはないし,越えるべき山を越え,その日を学級のみんなで迎えたとは言い難い。
 その山を越えるには,「終わる」のではなく,「終える」という主体的な生き方が不可欠なのだ。残り少ない日々の「みんなに課せられた重要な課題」であると考えます。

 1/29(火)の『飛び立とう 未来信じて』bP4には,
「集団・自分・かかわり・大切な役割・いい影響」という
大切な言葉があったね。気持ちよく卒業式の日を向かえ,
希望に満ちた巣立ちとするためにも,この言葉のもつ意味を
よく噛みしめ,残りわずかとなった日々を送ってください。

 もし,この時期特有の雰囲気に乗っかっただけの「あと○○日」ならば,
今すぐにでもその張り紙を撤去してほしい。心からそう思います。

いろいろあってこその学級なんだ。学級というものにもっと関心をもち,こだわることだ。
2 月 の 予 定


 4(月)C週平常5限 生徒議会 ※教育相談(二者懇談)スタート
 5(火)  平常6限 
 6(水)  短縮5限(5限B木A) 掃除なし
 7(木)  平常6限 県立前期選抜入試,名城入試,鈴鹿・愛女発表
 8(金)  平常6限 県立前期選抜入試,卒業式案内状配布
 9(土)  清林館発表
10(日)  名城発表
12(火)A週平常6限 県立前期選追試
13(水)  平常5限(5限A月B)専門委員会,選挙管理委員会
14(木)  平常6限県立 前期選抜内定発表
15(金)  1限授業⇒三者懇談会
16(土)フラワーオアシス
18(月)B週1限授業⇒三者懇談会
19(火)  平常6限
20(水)  短縮5限(5限C月A)
21(木)  平常6限 実力テスト発表
22(金)  平常6限
24(日)  鈴鹿高専(一)入試
25(月)C週短縮5限 県立後期選抜出願
26(火)  平常6限
27(水)  奉仕作業×3限
28(木)  実力テスト×3限
29(金)  実力テスト×2限,3限〜一部生徒で新入生説明会準備

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運命のジャッジ・「まだ終わっていない」・あきらめない気持ち

「笛」(ジャッジ)で思う。  審判のあり方については,誰もが同じ思いだろう。先頃話題になった問題も,本来あるべき姿を早く取り戻してほしい。
 まったく異質な問題ではあるが,部活動にかかわっては,私の中にも「笛」(審判)のことでいろんな経験がある。人がすることだから,そこにまちがいが紛れ込む。実際,笛を吹いていて冷や汗がでることも多い。試合後,顧問の先生や相手の顔を見るのがつらいときがある。

大きな体育館の高い天井     その天井を見上げながら,「ここまでか」という弱気が顔を出し始めた。夏の県大会バレーボール競技男子の部の準決勝。相手は,後に松坂工業高校のキャプテンとして春高バレーやインターハイで活躍したY君率いる優勝候補の白山中学校。180センチを超えるセンターやY君と対角をこなす両手打ちのエースの存在など,どうしようもなく強い相手だった。新人戦でも決勝で敗れ,その後は差が開く一方。6月の県大会では一桁で粉砕された。しかし,この暑い夏の日は少し様子が違った。あっという間であったが第1セットを取り,第2セットも中盤までゲームを支配している。が,さすがに白山中は強く,じりじりと差を詰めてくる。「ここまでか」。たぶん,試合を観ていた多くの人がそう思ったはずだ。

運命のジャッジ   両手打ちのエースがストレートにたたき込んできた。一瞬,「入った!?」と思うほどの微妙な接地であった。そのとき,ストレートラインの線審の赤旗が,サッと上がった。アウト判定である。線審は市内の中学生。曇りのない眼で必死にジャッジしたことであろう。笛が鳴った。主審の手がこちらを指した。試合は,そのジャッジを境に再び流れが戻り,あれほど強かった白山中に勝利した。

「まだ終わっていない」・あきらめない気持ち     確信もなければ根拠もない話であるが,6月の大会でどうしようもない差を感じた私だが,不思議に「まだ終わっていない」というぼんやりとした思いももっていた。白山中に勝とうとか県で優勝しようとか,そんな問題ではなく,「チームは未完成のままだ。やらなくてはならないことが残されている」という思いである。6月に大敗してからの一ヶ月,子どもたちとチームの完成を目ざした。具体的な戦術を新たに一つ加えたことしか覚えていない。たぶん,どのように終えるかを,チーム一体となって考え,実践したんだと思う。

県大会の前日,練習を終え,みんなでスイカを食べた。

 もうひとつの学年通信 No.18 2008.2.4(月)2008.2.4
走った距離は裏切らない 
今回もスポーツシリーズで迫りたいと思います。
みなさんは,マラソンランナーの野口みずきさんを知っていますね。彼女が三重県伊勢市出身であることも知っていると思います。私たち三重県が誇るスポーツ選手の一人ですね。
昨年11月18日に開催された東京女子マラソンで見事に大会新記録で優勝し,北京オリンピック代表入りが有力となりました。(ぜひ,代表になってほしいと思っています。野口さんの好きな言葉は,
「走った距離は裏切らない」だそうです。過酷な練習とそれに伴う結果を知っているか
らこその一言だと思います。 そして,数々の記録を打ち立てながらも,毎日走れるのが一番の幸せだそうです。ある取材のインタビューで「走っていて辛かったことは?」と聞かれても「辛いこともその分喜びにかわるので,ありません」と答えています。(伊勢新聞 1月10日 参照)
「走った距離は裏切らない」と言う言葉を,勉強にたとえるならば「勉強した時間は(しっかりと学習すれば),裏切らない」となるのでしょうか。
「どうせ勉強したって,成績も上がらないし・・・」と最初からあきらめてしまう人はいませんか。野口さんのように「今はつらいかもしれないけれどその分喜びにかわる」と考えてみるのも良いかもしれません。
みなさんにとって,一番たいへんな時期ではありますが,野口さんの言葉を励みに勇気をふりしぼり,がんばっていこうではありませんか。

『ちょっとひとこと(私立入試の思い出)』
当時,私立高校の受験は「ひとり一校」が普通で,不合格だったらどうしようなどとても不安だったのを覚えています。また,入試当日までとても緊張したのも覚えています。
私立受験をむかえる中で,わたしの緊張を察してくれたのか家族がとても気をつかってくれ(体調のことをいろいろ心配してくれたり),家族ってありがたいなと強く感じました。
いつもは歳が近いせいもあって喧嘩ばかりしていた兄が,受験当日に「これ持っていけ」といって渡されたカイロも(その当時のカイロは,ベンジンを入れて暖めるもので今のような使い捨てではありません)とても暖かく感じたのも私立受験の良い思いでとなっています。

 もうひとつの学年通信 N0.17 2008.2.1(金)2008.2.4
昭和40年代にヒットした「悲しみは駆け足でやってくる」という曲を覚えている人(まして口ずさめる人)は少ないと思いますが、その出だしは、『明日という字は明るい日と書くのねー』で、そのインパクトたるや相当です。50年代、渡辺真知子のデビュー曲「迷い道」の『現在、過去、未来〜』とならぶ想定外(?)の強烈な出だし。だからどうした、と思わずツッコミを入れたくなるようなこの曲を歌っていたのは、アン真理子という(新人女性)歌手でしたが、2番の出だしもまた凄い。『若いという字は(    )字に似てるわ〜』うーん、確かに似てないこともないけれど(それは、アンマリか)、かなり強引な気もしたりして・・・。今思うとよくこのような歌がヒットしたものだと(皮肉ではなく)感心せずにはいられません。人生の応援歌みたいな感じで、じんわり人々の心に染み込んでいったのかなあ。当時は、おおらかで、長閑(のどか)な時代だったんでしょうね。いつの時代も若者は些細なことで悩み、壁にぶち当たってはもがき苦しみ、しばしば挫折しては絶望のどん底から這い上がってくるものですが・・・。かくいう私もそうです。若者よ、何事にも精一杯頑張れ!(近年「頑張れ」と言うのはよくないかのように言われますが、それは頑張っている人に対してのこと。十分頑張ってない人には素直に「頑張れ」と励ましたい僕。)   
3月11日には、厳粛な雰囲気の中、凛(りん)とした卒業式を迎えたいと思っています。
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甲子園球場での実話です。ナイターの季節になると「ビール、いかがっすかぁ。」などと売り子が観客席をまわります。そのほとんどが学生のバイトだそうです。ある時、同じビールを売っているにもかかわらず、とびぬけて売り上げの多い大学生がいました。いつもいつも、その彼だけ抜群の売り上げなのです。「いったいどうやって売っているのだろう」と不思議に思った球場の関係者は、観客席をまわる彼の様子をこっそり見にいきました。すると、売り上げのヒミツは、実に簡単なことでした。
「ビール」という言葉の前に、一言「冷たい」という単語を付け加えるだけ、つまり、
「冷たいビール、いかがっすかぁ。」
たったそれだけのことで、観客は飲みたい気分にさせられて、思わず買ってしまう・・・。なるほど、実に見事に人間の心理をついていますよね。マニュアルに頼らず、自分なりにちょっと機転をきかせることで(ちょっとした要領で)良い結果が生まれる・・・という話であります、が・・・(参考:文芸春秋社「笑うから楽しい」上前 淳一郎)
いつもこんなにうまくいくのかなと思ってしまいます。僕だったら、汗水流して地道に「ビール〜」と絶叫する売り子から(気の毒に思って)買ってしまいそうです。
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その電話は、卒業生のBからだった。彼は、何気ない調子で
「先生、今ここにAがおるで、代わったるわ。」
と言った。受話器の向うで何か聞こえた。ちょっとの空白、そして沈黙。
「・・・・・・・。」
僕のほうから声をかけた。考えた末に出てきた言葉はどこか間が抜けていた。捜しまっわたことの苛立ちより、見つかったことの安堵感のが大きかったのだろう、多分。
「Aか。大丈夫か。」
「うん。」
Aは、昨日からずっとBの家にころがりこんでいたのだった。僕の勘は当たっていた。Bの家の人はそのことを知らされていなかった(し、気づいてもいなかった)らしい。
「Bの家の人に世話になったんやで、帰るときにはちゃんと礼を言わなあかんぞ。」
「わかっとるわ。」 
電話で説教しても始まらないので、簡単に何をしてたか聞いた後、今から帰る約束をさせ、Bに代わってもらった。Bが昨日僕に嘘をついたことなど、どうでもよかった。
「ありがとう。助かったわ。よう教えてくれたな。それと世話してくれたことや、いろいろ話を聞いてやってくれたことも、な。」
「ああ。先生が必死に探してるみたいやったで、まあ、ちょっと、言うたらなあかんかなあと思っただけやさ。Aに『心配かけたらあかんぞ』と言うといたったでな。」
Bは、半分気恥ずかしそうに、半分得意げにそう言うと、最後には大人ぶって、
「先生、怒らんとちゃんと話聞いたらなあかんで。」
と、釘をさした。僕は、1%「調子にのりおって」と思いつつ、99%満足感に浸って「わかっとるって。ありがとな。」と言って電話を切った。そして、その日最後の授業を終えるとAの家に飛んで行った。Aはどこへも行かずに待っていた・・・。
それからは急転直下だった。ほどなくAは、実の母のもとで暮らすことになった。本来なら転校だが、どうしても今の中学校で卒業式を迎えたいというAの強い要望で、校区外通学が認められた。朝は1時間10分、帰りは(下りなので)50分の道のりをAは自転車で通い始めた、雨の日も雪の日も・・・。髪の毛には本来の黒色が戻り、表情には本来の笑顔が戻った。それに加えてメガネまで!急に勉強家に見えてきた。実際Aはその後、失った時間を取り戻すべく、通学で疲れているであろう体に鞭打って貪欲に勉強した。どんなに朝早く起きても、授業で居眠りをすることはなかった。放課後補習もした。(3学期なので)真っ暗で寒い夜道だったが、そんな日でもAは颯爽と帰っていった。みんなに「がんばれよ。」と励まされる中、Aは日に日に逞しくなっていき、そうして、ついにその日がやって来た。    〜もう少しだけ、次号で

 もうひとつの学年通信 No.16 2008.1.31(木)2008.1.31
以前,13歳から17歳ぐらいまでの間に自分の人生を変えるような大きな出来事や人にめぐり合うと聞いたことがあります。
実際に自分自身をふり返ってみても,音楽にかかわった仕事に就(つ)きたいなぁと思ったのも高校生の頃でした。
私は大学で声楽(歌)を学びました。何故,歌を勉強したいかと言うと・・・中学校1年生の頃の音楽の授業の歌のテストがキッカケです。クラスメイトの前で一人で歌うのはとても緊張しました。ガタガタふるえて何を歌ったのかも全く覚えていません。実は,その当時クラスの中に好きな男の子もいて,かっこつけたい,自分をよく見せたいと余計なことばかり考えていました。
ところが,歌のテストが終わると音楽の先生がみんなの前で「○○は歌が上手や,いい声しとる。」とほめてくれました。
○○もおだてりゃ木に登る・・・単純な性格の私は,高校へ入学できたら歌を習ってみたいと思いました。(お金がかかることも考えずに,勝手に!!)田舎者の私は,歌というものが習えるという知識もありませんでした。たまたま同じ部活の子が歌を習っていて「習えるよ。」と教えてくれました。
そしてピアノの先生にお願いをして,歌の先生を紹介してもらいました。
中学校の音楽の先生がほめてくれなければ,現在の私はなかったと思います。その先生は私が高校生になると,病気で倒れられ帰らぬ人となりました。
「先生に出会えたおかげで,自分に自信がもてました。本当にありがとうございます。」先生が亡くなったと聞いた日,私は心の中でお礼を言いました。
さて,高1の夏休みに歌の先生の所へ初めてレッスンに行きました。その先生には今もずっと教えてもらっています。もう,24年間お世話になっています。24年間ずっと歌い続けていますが,まだまだまだまだ,勉強することばかりです。さぼるとさぼった歌しか歌えなくて,情けない限りです。
でも,すばらしい先生方にめぐり会えたおかげで,私には歌が上手くなりたいという夢をもつことができました。
自分には「これだ。」というものを,是非,みなさんも見つけてほしいです。自分の夢をもち,その夢を叶えるために頑張ってください。
夢を叶えるためには,もしかしたら,辛いことの方が多いかもしれません。自分とたたかったり,孤独だったり・・・。
でも,「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように自分の好きなことや得意なことは長続きするのではないでしょうか・・・。
運動が好き,絵を描くのが好き,物をつくるのが好き,楽器を演奏するのが好き,本を読むのが好き・・・いろんな可能性を秘めたみなさん!あきらめたりせず,大きく翔(はばた)いてください。
みなさんと出会えたことに感謝しています。

 写真は1年の体育祭5組の綱引き
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