3年生より

 もうひとつの学年通信 No.15 2008.1.30(水)2008.1.30
この朝明中の3年生の仲間と過ごす中学校生活も残りわずかとなってきました。今は、自分の進路のことで頭がいっぱいになっている人や私立受験で緊張している人、合否の結果をドキドキとしながら待っている人、それぞれいろいろな気持ちでいることでしょう。今できることに精一杯取り組み、後悔しないようにしましょう。もうひとふんばりです。みんなが楽しくよい気持ちで毎日過ごせるように、仲間と励ましあい、協力し合ってお互いを高めあっていけるといいですね。一日一日を大事にして、今まで以上に気合いを入れて授業や掃除などの活動、最後の行事に取り組んでいきましょう。そして素晴らしい思い出いっぱいで卒業式を迎えましょう。素敵な詩を見つけたので紹介します♪
百点満点の詩
欠点や短所があっても それでいい
そのままの自分で百点満点
うれしくなって
気持ちが軽くなる
弱気が消えて自信がわく

過去の過ち 失敗は
黄色くなった古新聞
それを見ながら責めるのは
ほんとにほんとにバカみたい
今の自分がほんとうのわたし

自分にバツをつけると臆病になる
他人の言葉や態度が気になって
力の半分も出てこない
自分に大きなマルをつけること
すると自分のしたいことが見えてくる
今できる
最善のことをする
勇気がわきあがってくる

あるがままの自分を恥じる必要など
どこにもありはしない
だから迷うことはない
自分に百点満点をつけること
すると目の前が明るくなる
やさしい気持ちもわいてきて
自信が体に満ちてくる

写真は1年生総合の時間のひとこま


 もうひとつの学年通信 No.14 2008.1.29(火)2008.1.29
『集団の中の自分』
 みなさんは、幼稚園、保育園の頃から10年以上、園あるいは学校で、「集団」という社会の中で生活をしていますね。その集団の中で、自分は他の人たちから、どんな存在として映っているのかを考えたことがあるでしょうか?
 休み時間を考えてみてください。しょっちゅう誰かと関わりをもって遊んでいる人もいれば、誰とも話をせずにもくもくと読書をしている人もいますね。窓ぎわでぼ〜っとしている人もいますね。人はその人その人でいろいろな個性をもっています。いろいろな性格の人がいます。そして、そのいろいろな個性があるがゆえに、人との関わり方も多種多様です。自分の思ったこと感じたことをそのまま出して、自分のことしか考えていない人もあれば、いつも周りの人のことを気にして、なかなか行動を起こすことができない人もいます。
でも、そんな中で、自分の思いや考えをある程度出すことができ、その上周りの人たちの気持ちや動きをきちんとつかんでいて、暖かい思いやりの心をもち、なお集団のために前向きに行動できる、そして信頼されている・・・。昔からいわゆる「リーダー」といわれる人は、そんな人のことを言うのでしょう。集団として、まとまって何かをするとき、そういう人は大切な役割を担います。
 さて、リーダーという感じではない目立たない存在・・・。だけど、「困っていたとき、助けてくれた!」「わからないことを教えてくれた!」「落ち込んでいたとき、ちょっと声をかけてくれて元気が出た!」「いっしょにいるとホッとする!」そんな人もいますね。こういう人は周りの人たちにいい影響を与えてくれます。そして、そんな人ばかりである集団なら、だれにとっても、とても居心地のいい集団となることでしょう。
 卒業まであと1ヶ月半となりました。自分は、このクラスで、またこの班で、どんな存在なのでしょうか?周りの人たちに迷惑をかけているなら、もちろんそれは改めないと・・・。居心地のいい最後のクラスで、気持ちよく卒業の日を迎えてください。

 写真は1年3学期の朝の読書風景
 (この頃はみんなの登校も早かった・・・。始業のチャイムの5分くらい前にはこんな感じで読書が始まってました。今は滑り込みで登校する人が増えてます。入試シーズン早起きの習慣を!)

 もうひとつの学年通信 No.13 2008.1.28(月)2008.1.28
若者たちは全力で生きている - A ●●

15日(火)1限体育の授業       教科担任の代わりにグランドに立つ機会があった。
未だ背後に隠れる朝日のために色を失った南側の林が,黒々と盛り上がる。冷たい空気が気持ち
いい。いつものようにクィーンの「I was born to love you」で準備体操。ちょっと気だるそうやなあ。その後ランニングに。男子が1,500m(大周りを6周),女子が1,000m(通常コースを5周)。すいすい先頭を走るのは,T君とWさん。まだまだ力は落ちてないなあ。「ん?」走るというより歩いてる感じのMさんが速いぞ。
 それまでの淡い光が透明に輝いた。林の上から太陽が顔をのぞかせた一瞬だ。輝きを増した光を浴びて,ほほを赤く染めたみんなが走る。先頭に喰らいつこうと力強く走る者,自分のペースで確実に走る者,顔をゆがめ苦しい息を吐きながら「もう1周,あと1周」と頑張る者,身もだえしながらひたすら自分と闘う者。多くの者が,全身で苦しさを表現しながらゴールを目ざす。長距離は,人生と似ている。西から東へと木々に緑が戻る頃,全員がゴールイン。

この朝,朝明中学校の校庭を全力で走る若者たちがいた。

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あたり前のことなのかもしれないが

 美術の木彫が終わりつつある。この年末年始,制作が卒業に間に合うかあれこれと思い悩んだ。
最近では,ワックスの急激な減りが気になるなあ。そんな美術の授業や学年での情景から。
◇ 第2美術室にはいろんな物品を入れたダンボールが,床の上に置かれている。その1つに先生の
 足があたった。Tさんの手がさっと伸び,ダンボールを奥にずらしたのが目の端に映った。
◇ いつもは行かない学級の帰り学活に行った。欠席者への連絡のことを話題にした。すぐにはだれ
 も反応しなかった。終わりの挨拶の後,Kさんが私の横にすっと立った。「私が伝えます」。

ダンボールのことも欠席者のことも,あたり前のことなのかもしれないが,うれしかった。

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私の中に生きる若者たち

◆学童保育指導員  愛知県出身の彼とは,アパートで知り合った。美術や映画の仕事に就くために上京してきた彼は,生活上の理由から学童保育指導員をやり始めた。不安定な就労状況や薄給にも負けず,彼はよく働いた。夜中にふらっと遊びに行くと,ガリ版を鉄筆でカリカリやって通信を書いていた。B4の用紙にかざらない文字が,びっしりと縦書きされていた。通信名は『にゃんにゃん通信』だったような。猫のイラストは,はっきりと覚えている。内容は,子どもたちの様子から保育計画,諸経費のこと,それに,学童保育指導員の就労改善への協力依頼など,多岐(たき)にわたっていたと思う。
 美術や映画にとどまらず,何でもよく知っていた。感性が鋭く,いつもは穏やかな彼のまなざしが,会話の中で怖(こわ)く感じられるときもあった。

私がアパートを去る日,彼の階段を駆け下りて出勤するいつもの音が聞こえた。
◆白い板    
美大のころ,大学の表現様式になじめず,自身であれこれと動き,追究した。
研究会に所属し,拙(つたな)い研究のまねごともした。
 そんなある日,畑違いの研究会にデザイン科の女子学生が現れた。手には,油彩の板絵を持っていた。その後,何回か活動をともにしたと思うが,彼女が来てから研究が進んだことを覚えている。事実,彼女は,美術専門学校での実技講習会を企画し,教えを請(こ)う先生を確保した。東京芸大の研究室にもコンタクトをとってくれた。デザイン科の課題をこなすだけで大変なのに,趣味の域である油彩画の研究にも印象的なリーダーシップと実践力を示した。好奇心に富み,意志が強く,行動力にあふれた人だったのだ。そんな彼女の一言。
彼女は,言った。「高校1年のとき,担任の先生から『若者にとって,外の大きな世界を知ることの意義は大きい』とアドバイスされ,次の年,海外で1年間を過ごした(留学だったんだろうな)」と。
 卒業して間もなく,彼女のご家族から葉書を頂いた。彼女の死が,簡潔に書かれていた。 私の部屋には,彼女の研究物がある。葉書き8枚分ほどのシナベニヤを,胡粉(ごふん)(炭酸カルシウムなど)でプレパレーションし,磨き上げた作画用の板だ。裏にTamamiと,黒いマジックでサインされている。
今でも,白い鏡のように手つかずのままだ。そこに絵を描く予定はない。

◆軽い侮(あなど)りが消えた日  学生自治会の書記長だった彼は,硬いほど真面目な人だった。眼鏡をかけたその風貌と話しぶりには,人間性がにじみ出ていた。
これといった理由もないのだが,周りに彼への軽い侮りがあった。その日,私は,たくさんの若者の中にいた。彼と隣り合い,腕を組み配置についていた。年下の私を,いろいろと気遣ってくれた。 突然に,彼の顔面を何かが襲った。彼は傾き,倒れた。かろうじて引っかかっていた。右のレンズに走ったひびが,はっきり見えた。

私の中の軽い侮りが,その日から消えた。

◆『生まれ出(い)ずる悩み』  中日新聞に,有島武郎の小説『生まれ出ずる悩み』が分割掲載されている。北海道で漁師として働きながら愛する故郷の風景を描き,画家としての新たな自分を見い出すまでの「生まれ出いずる悩み」がテーマである。
 この作品を教えてくれたM君も,北国の農家の息子であった。アパートによく絵を持って遊びに来た。印象派のピサロやシスレーについて語っていた。彼の作品も,風景が多かった。 私の中では,彼と小説の中の若者が重なる。たぶん,彼自身もそうであったと思う。だから,私にもその小説を紹介したのだろうと,勝手に思っている。
短い交友であったが,厳しい環境で育った彼からは確実に何かを得た実感がある。

写真は1年のときのフラワーオアシスでのひとこま



 もうひとつの学年通信 No.12 2008.1.25(金)2008.1.25
 いよいよ3年3学期前半のヤマ場である入試Weekの到来です。この土日には、たくさんの人が受ける津田高校の受験が控えています。寒さもピークですよね。体調管理をしっかりしましょう。
 私も何年か前に津田の自己選択選抜の引率で富田中学校にいったことがあります。
そのときは、たくさんの生徒が受験するということもあって、わりとリラックスしていたように思います。「おはよう。」「おはようございます。」「先生、どうしよう・・・!」「緊張するーーー!」個々人がさまざまな言葉を発し、朝のチェック。受験番号のある教室へ吸い込まれるように入っていき、私もひと安心。
その後、控え室である図書室に。富田中学校は新採ではじめて赴任した学校。なつかしい!(まあ、20年も前の話なんですけどね(笑)余談ですが、Y先生のダンナさまはそのころの教え子なんですよ。Yクンから「富中にみえましたよね?」と言われた時には、急に老けこんだ気がして大いにヘコんでしまった)
そして、図書室から、受験生の入っている教室をみたんです。その様子をみて私は愕然としました。
ある教室は試験監督の先生が入ってくる前から静かに座っている。(ベル席ができている。)ある教室は監督の先生が待機しているにもかかわらず、まだ開始の時間じゃないからと、席を立って友達としゃべっているではないか。うん?その中のひとりと目があったぞー。と、私を見つけて、満面の笑みで手を振ったじゃないか!そしてその横の子もうれしそうに手を振った。げげっ!よりによってうちのクラスの生徒じゃないか〜い!?オーマイガッ!!(Oh,my God)
担任教師を見つけて笑顔で手を振ってくれるとは、なんてかわいい子どもたちだ!しかし、場所が悪かった。そこは観光バスのなかじゃない。すぐさま“sit down”の手振りをしました。こんなんで、面接や、面接を待っている時とか、ちゃんとやれるのかなと不安を覚えました。
そして、このときの受験には予想以上に失敗するのです。それは、学力のせいだけではなかったように思います。
受験には普段の生活がでるものです。もちろん受験ですから、だれもが気をつけているはずです。でも、これくらいならいいだろうという基準そのものが、その人の日常を反映しているものなのです。あなたの日常は、あなたの基準は、中学生として胸をはってよし!といえるものですか?
よく言うことですが、あなたたちは自分がどこの高校を受けようか、どこに就職しようか、選んでいるように見えて実はそうではありません。あなたが、高校に、会社に選ばれるのです。
あなたは選ばれるにふさわしい人間ですか?
ヘルメットをきちんとつけていますか?
服装は大丈夫ですか?(スカート丈、そでのホック、第1ボタン)
ベル席は守れていますか?
先生の話に素直に耳を傾けられますか?
まっすぐに人の目を見て話を聞けますか?
しゃべらずに静かに待つことができますか?
 (今の子は沈黙に弱い。TVのバラエティー番組の影響も大きいと思いますが。プレッシャーをしゃべることでごまかさないで、黙ってひとりで立ち向かうことも必要ですよ。)
 私は、不合格や失敗が、それほど悪いものだとは思っていません。「それではダメだよ。」というサインは自分をしっかりと見つめなおしたり、自分と対峙する(まっすぐに向きあう)きっかけとなるからです。
そういう意味では、失敗も成功のうち。
でもね、やっぱりかわいいあなたたちのナミダは見たくないので、しっかりやってきなさい。健闘を祈る。

 写真はなつかしい1年3組最後の日
         

 もうひとつの学年通信 No.11 2008.1.24(木)2008.1.24
 暦の上ではもうすぐ春。♪もうすぐ春ですね♪と、その昔キャンディーズ(あなた方のお家の方はご存じと思います)が歌ったものである。多くの人にとって春は待ち遠しい季節なのではないだろうか。

 最初に、今日の道徳いかがでした?見ようとすれば見えてくるおかしなこと、たくさんあったのでは?そういう眼を養っていきたいものである。

 さて、今日は、私の教員としての先輩であり師匠のひとりである先生のことを少し書かせていただくことにする。仮にS先生とする。
 S先生とは前々任校(私が勤めていた前の前の学校)で8年間ご一緒させていただき、右も左もわからぬ私はいろいろなことを教わったのである。
 S先生、絶対に人のことを悪く言わない。人は誰でも長所と短所があるのだが、短所について悪く言わないのである。「こういう背景があるから、そうなったのだから、当事者にはあまり責任がない」という考え方をするのである。その上で、どう変えていくかを自分のことのように考えてくれるのである。人のことを悪く言わないし、短所があってもその人を決して否定しない。私はS先生に出会って本当によかったと思う。
 また、S先生、自分が何かをして他人に与えたことについて、絶対に損得の感情を持たない。これぞ真の親切心(無償の愛とも言う)である。「せっかく親切心で○○してやったのに・・・・」なんて言葉とは無縁の方なのである。誰かに裏切られることがあったとしても、「おそらく相手によほどの事情があったのだろう」と考えられる方なのである。
 私はS先生よりも7歳年下なのだが、一人の教師として私を認めてつきあっていただいたことは、私にとっての大きな財産である。
 彼に追いつけなくとも、彼に近づけるようこれからも努力をしたいと思っている。

 話は変わるが、最近、自分本位な言動が多くなった日本社会。これは、学校の中でも同じである。「これ誰かやってくれる?」に対して反応が少ない。「これやっといてくれる?」に対して「何で僕が(私が)?」と返ってくる。本当に寂しいことである。しかしながら、「これ誰かやってくれる?」に対して、「僕(私)やっとくよ」と純粋に答えてくれる人もいる。「これやっといてくれる?」に対して「これだけでいいですか?」と言ってくれる子もいる。

 損得感情や当事者意識、無関心などがなくなれば、本当に人とのつきあいは楽しくなるのではないかと思うこの頃である。今のままでは、「正直者が馬鹿を見かねない」世の中になりそうで心配である。多くの清涼飲料水の缶に「投げ捨てないでください!」などと書かれていること自体、もうそんな世の中になっているのかも…。

 そう憂う私たち教師も、一人の人間として、憂うだけでなく具体的な行動にしていきたいと思うものである。
 あなたには、尊敬できる人がいますか?

 写真はなつかしい1年4組最後の日

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