3年生より

 もうひとつの学年通信 最終号 2008.3.11(火)2008.3.12
わたしは この学校に 入学して
この学校で 成長 しました。

友だちも たくさん できて
みんなと 遊び 学び 活動 しました。

ある日 わたしは 悩んで しまいました。
わたしを 悩ませる 問題は
いつまでも 解決 しません。

悩んでいるのは
わたしひとり だけみたい、、、。
わたしひとり。

・・・・・・・・・・。

ある日 思い ました。

友だちも
友だちの 友だちも
その また 友だちも 
ここで 楽しく 生きて きたのかな。
それでも なにかで
悩む ことも あったんだろうな。
 
わたし だけじゃ ないんだ。
きっと みんな いろいろ あって 
悩んでも みんな 生きて きたんだね。

ある日 私は 気づきました。

あんなに 悩んだ 問題が 消えたことに。
気づいたのは 悩まない 自分に
気づいた ころでした。

保護者のみなさまへ
本日のお子さまのご卒業,学年担当として,心よりお祝い申し上げます。
 今日までの保護者のみなさまの愛情と慈しみに,心より敬意を表します。
 入学直後,とても気持ちのいい子どもたちだなあと思うことがよくありました。表情、立ち居振る舞い、言動を見るに、いつもご家庭や地域の教育力が感じられました。入学から今日まで,私どもの働きかけに一生懸命に応えようとする子どもたちでありました。
これも保護者のみなさまのお導きや地域の教育力の賜と感謝しております。
 一方,私どもは,おあずかりしたお子さまが本来もっている能力を,可能な限り引き出し,
伸ばすことができたのかどうか,そのあたり,「ああすればよかったのかな。こうもすればよかったのかな」などと考える日々でもあります。

始まり
 早春の陽炎の向こうに冬の背が揺らぎ,消えていった昨年3月。 新たに5名の先生方をお迎えし,大切な最終学年が始まりました。あれから1年が経つのですね。その間,心も身体もはげしく変化し揺れ動いた青年前期の子どもたちでありました。ご家庭においても中学校生活においても,いろんな思いが交錯し,心を保つことで精一杯の日もあったことでしょう。たくさんの,本当にたくさんの悩みや苦しみと向き合い,必死に生きてきたに違いありません。
だからこそそういう状況の中でも笑顔を絶やさず,健気に生きる子どもたちは,だからこそ,たくさんの人に愛されてきたのです。秋を越え,オリオンが輝く季節には,だれもが大きく,たくましくなった彼らに気がつきました。素敵な子どもたちでありました。

地域の中で      
みなさまには本当にお世話になりました。私どもは,お子さまを巡るかかわりの中で
教えていただいたことを,地域社会の一員として今後の活動に活かしていく所存です。
永く朝明中学校を見守り,応援していただければと思います。

今日の卒業式はお天気に恵まれ、保護者の方々のつくっていただいた花道を最後に通りました。

 もうひとつの学年通信 No.42 2008.3.10(月)2008.3.12
いつもの教室
いつものざわめき
いつものおしゃべり
いつもの笑顔

「いつも」が「特別」に
変わる瞬間

 それが 卒業″

いよいよ明日は卒業式ですね。「いつも」が「特別」に変わる日が訪れようとしています。
 「私の教室」は、卒業を境に「私の教室」ではなく、「私の机」でも「私たちの体育館」でもなくなります。卒業生といえども、勝手にはいることは許されません。先生の許可が必要となります。それが、節目というものです。
 だからこそ、この空気を存分に吸って、大切に大切に、訣別(心をこめてきっぱりと別れを告げること)してほしいと思っています。
 学校生活のなかで、私が好きな時間と空間・・・みんなで盛り上がり、楽しい笑い声が響くそんな瞬間もこの上なく好きだけど、たくさんの人がそこにいるのに水をうったように静かな瞬間こそ、何よりも愛しいと思っています。それは、合唱コンクールの審査を聞く瞬間。力を出し尽くした後のみんなの祈るような思い。それは、離任式。お世話になった先生が離任されると知ったときのとまどいと一言も聞き漏らさないでおこうという思い。きっと私は、みんなが思いをひとつにする時間と空間が大好きなんだと思います。
 でも、そのなかでも、「卒業式」に対する思いは特別です。
 節目と訣別をこめた、この上なく愛しくて悲しくて、大切な時間・・・。
 しかし、そんな時間を共有するためには、準備が必要だということに、あなたは、気づいているだろうか?
 合唱コンクールや大縄跳びで、毎日の朝練と夕練が必要だったように、受験に臨むために受験勉強が必要なように、「卒業式」にも準備が必要なのです。心の準備がね。
 合唱コンクールや大縄跳びも、何となくやっているものであればあんなに盛り上がらないし、思い出にも残りません。心がはいっているから、うれしさも悔しさも悲しさも共有することができるのです。
 タイムリミットは今日一日。今日一日で「卒業式」に対する心の準備をしっかりと高めなくてはなりません。間違いなく、あなたは、明日には朝明中学校の3年生として、卒業するのです。いいかげんな気持ちや中途半端な行動で卒業式を迎えてはなりません。
 結婚式であれ、お葬式であれ、「式」というのは、「様式」を大切にします。「卒業式」も同じです。同じ「様式」を皆が整然と行うことで、凛とした美しさがそこにただよいます。「様式」というのは「型」です。相撲の土俵入りにしろ、空手にしろ、茶道にしろ、「型」の美しさは見るものに感動を与えます。
 あなたたちも、そんな、見る人に感動を与えられるような整然とした「卒業式」をしたいと思いませんか?
全員で、きちっと角度にまでこだわり、指先にまで心を行き届かせた礼は、美しく、全員の意志をすら感じさせます。全員がまっすぐに前をみた、頭のふらつかない姿勢は、卒業後の生き方を予感させます。
 今の子どもたちは、テレビやお笑いのせいか沈黙が苦手だと、以前、通信に書いたことがあります。すぐにくすっと笑いあったり、こそっと隣の人に話しかけることで、思いを共有しているよというサインを出したがります。でも、それでは整然とした「様式美」なんて生まれません。静寂な雰囲気こそ、節目と訣別にふさわしい「卒業式」をつくるものだと、心得なさい。
 先日は、返事の声の小ささ、なかには返事をしない人もいて、驚きました。だれもが「いい卒業式にしたい」と思っているのに、自分がぶちこわしているということに気がつかなかったんでしょうね。
「心の準備」ができてなかったのだと思います。そういう人は、しっかり、準備をしなさい。当日だけちゃんとやったらええやという甘い考えで、大縄跳びや合唱コンクールや受験勉強がうまくいかないのと同じように、今日の練習できちんとできないで、当日がうまくいくはずがありません。
 私たち教師も、保護者の方も、みんなほど耳がよく聞こえません。しっかりと聞こえる大きな返事を響かして卒業証書を受け取りなさい。昨日、原先生も言っていましたが、保護者のかたは、他のだれでもない自分の子どもを、見にくるんですからね。
 今日の3・4時間目には、全体練習があります。
1年生のころを覚えていますか?1年生は卒業式に出られないから、この全体練習が卒業式みたいなものなのだといって、全体練習にのぞみましたよね?
 卒業を明日に控えた、立派な姿を後輩に見せてあげてください。

真剣にやると      いいかげんにやると
知恵がでる       いいわけが先にたつ

中途半端にやると
グチがでる                    真剣にやりなさい。

 もうひとつの学年通信 N0.41 2008.3.7(金)2008.3.7
いよいよあと4日でお別れ。長いようで短かったこの1年間。その道のりが決して平坦ではなかったことは、あなた達が一番よく知っているだろう。

 さて、あなた達は、これまで、地域の中で成長してきたと言っても過言ではない。1日の中の多くの時間を、学校という社会と家庭という社会を行き来してきた。それが、卒業を境に、ついに大きな社会へと羽ばたいていくことになる。もちろん、高等学校でも会社でもいいのだが、これまでとは違った社会であることには違いがないのである。
 では、この先に待つ新しい社会とはどのような社会なのだろうか…。
 まず、あなた達が劇的に変化することはないが、周囲の見方は確実に変化をしはじめる。そう、もう幼い子どもではないのである。言い方を変えれば、厳しい視線を受けるということなのである。「大人の立ち居振る舞い」を考えるときがやってくるのである。
 そのためには、常識を感じることも必要だが、もうひとつ、自分の世界をきちんと持つということも大切になってくるのである。はき違える事のなきように。自分の世界は何でもありというわけではないことを。何かを考えたり、何かをしようとしたりするとき、自分の世界があれば、それは大きな流れを創る原動力にもなるのである。
 私は、『流れ』という言葉と『本物』という言葉をよく使う。
 自分の世界を持たないと、しばしば訳の分からない流れに乗ってしまったり、偽物に踊らされてしまったりすることも多い。どうせなら、やっぱり流れは創れるに越したことはないし、より多くの本物に出会いたいものである。どんなに立派なことを言っても、偽物では流れは創れない。何も世界の流れを創り出そうなんてたいそうなことを言っているのではない。身近なところから創っていければと…。一緒に創ってくれる仲間がいればもっと楽しいであろう。いや、本物ならば必ず一緒に創って
くれる仲間ができる。
 何もしなかったとしても、時間は一見平穏に過ぎていく。でも、それではあまりに寂しいんじゃない?一生懸命は恥ずかしいですか?
 これからも、たくさんのことを経験し、成長して欲しいと願う。
 経験は必ずあなたの血となり肉となるであろう。
 出会った人から学び、経験から学び、お互いに成長して再会したいものである。

 少し早いですが、卒業おめでとう!!

☆保護者の皆様へ☆
 この一年間、至らないことも多く、ご心配やご迷惑をおかけしたことと思います。ご協力ありがとうございました。

 今日は卒業式の練習をしました。いよいよ卒業まであと1日。今日の卒業式の練習の様子はトップページにアップしました。



 もうひとつの学年通信 N0.40 2008.3.6(木)2008.3.6
どんなに小さなつぼみでも 凍える冬を超えればほら
春が来るたびに鮮やかな花が咲くのだから
あなたが今日まで歩いてた この道まちがいはないから
春には大きな君が花になれ
  
   (中略)

今君は門出に立ってるんだ 遙かなる道をゆくんだ
誇り高き勇者のよう 風立ちぬその道のどこかで
君を探してるんだ 誰かが君を待ってるんだ
思い描く夢のもよう いつの日にかその目に映せ

 これはコブクロの「Yell」という歌です。リリースされたのはもう何年前でしょうか、この歌を聴くと、新しく旅立ちを迎える人たちの顔がうかびます。
 これからどんな楽しいことが待っているんだろう、どんな不安が待ち受けているんだろう、まさに期待と不安を胸に抱く今のあなたたちのことを歌っているようでもあります。
 私はあなたたちと3年間を共にしました。入学から卒業まで見届けるのはこれが初めてです。入学式のこと、今でもよく覚えています。自分も担任1年生で、みんなと同じように緊張していました。集会で話をするにも、どんな言葉を使おうか、ずっと考えて当日にのぞんでいました。そうそう、集会と言えば、みんなが入学したての離任式のこと。離任される先生に「じっと座っていられないようですね。腹筋・背筋をもっと鍛えて長い集会であっても耐えられる体を作りなさい」と言われましたね。どうですか、もう大丈夫ですよね。あなたたちは本当に体を鍛えました。1年生の時の持久走と3年生の今とを比べると、体が強くなった自覚があるでしょう。もちろん心も一緒に鍛えました。自分だけちゃんとやっていればそれでいい、のではなく、周りをよく見て行動することを覚えましたね。
 最近家でよくみんなの話をしています。あと○日で卒業式やなぁ、なんて言いながら、1年生の時からのことをおさらいするように話題にしています。たくさんの生徒に出会い、たくさんの保護者に出会い、そうして人の輪を広げ、社会は成り立っています。出会った全ての人に「ありがとう」の気持ちを忘れずにいたいと思います。みんな、いい卒業式にしよう!
 
 写真について
 今日の3限目、教科の最後の授業、6組の音楽では卒業式の歌、2組の国語ではブックトーク、図書館で司書の先生に本の紹介をしてもらったり・・・。そして4限目、最後の学年集会、学年の先生からひとりひとりみんなにメッセージを!涙をさそう学年集会でした。

 もうひとつの学年通信 No.39 2008.3.5(水)2008.3.5
ラ− ラ− ラ− ララ―ラァ− ララ− ララ− ララ−ラ−・・・。
今まで僕の号では、順に1970年代、60年代、90年代の(少々マニアックな)歌を冒頭でとりあげてきました。最後は80年代の歌でしめくくろうかと思います。まずは28年前のレトロな話から―。
 大学(教育学部社会科専攻)を卒業する際、僕が書いた卒業論文の題は『日本社会と流行歌〜美空ひばりからピンクレディまで』でした。書きたいことがなかなか見つからない僕が、悩んだ末に(社会科の中でも僕の専攻は、学問の対象が幅広く、漠然として何でもありの「社会学」だったことから)やっとたどり着いたテーマが、「音楽」それも歌謡曲だったのです。
どうしてそんな歌が作られ、流行ったのか。その歌にどんなメッセージがこめられていたのか。人々はその歌を聞いてどんなことを感じたのか等々を(一応)真面目に調査、分析しました。まあ、幼い頃からテレビ&ラジオっ子(特に歌番組&深夜放送大好きっ子)だった僕にすれば、趣味と実益(?)が兼ねられ、手っ取り早い分野だったわけです・・・。思えば―
1968年のレコード大賞受賞曲『ブルー・シャトー』は、「森と(ンカツ)泉に(んにく)」とみんなで歌ってたなあ。初めて自分のお金で買ったレコードは『ドリフのズンドコ節』で、初めてコンサートに行ったのも同じ小6の時、いしだあゆみのコンサートだったっけ。そして、高校・大学時代は、ひたすらキャンディーズの追っかけ!実際、旧四日市文化会館でのコンサート終了後、彼女たちの乗ったtaxiを追っかけて100m道路を近鉄四日市駅まで全速力で走ったし・・・。―さて、卒論のほうはというと、担任のA教官が「私には理解しがたい」と匙(さじ)を投げてしまったため、仕方なく、酔うと必ず「津軽海峡冬景色」を歌うB教官に指導をして頂き、何とか無事に卒業することができたのでした。
そして、教師になって3年目の秋、よく聞いたのが冒頭の『言葉にできない』です。 
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「あなたに 会えて ほんとうに よかった 嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない」(歌:Off(オフ) Course(コース))これは、その中の僕の大好きなフレーズで、今の僕の気持ちです。
(これを読んでいる)あなたは、もうすぐ自分の進路に向かって羽ばたいていきます。この先、楽しいこと、嬉しいこともあれば、辛いこと、悲しいこともあるでしょう。「非核三原則」風に言うなら『すねず、ぐちらず、なげださず』で、かけがえのない人生を逞(たくま)しく生き抜いて下さい。11日には、厳粛な雰囲気の中、凛とした卒業式を迎えましょう。
 最後に―。実は僕は大の洋楽ファンで、持ってるレコードやCDも洋楽のほうが遥(はる)かに多いのですが(約3500枚)、我が人生で最も影響をうけた洋楽のアーティスト―髪型も高1からずっと(一応)1964年当時の彼ら―The(ザ) Beatles(ビートルズ) の数あるfavorite songsの中から、ある曲の一節をあなたに送ってお別れの言葉とします。see you!【裏】

 Life  is  very  short ,
    and   there s   no  time
      for fussing  and  fighting ,my  friend.
         
〜1966年「 We can work it out 」(邦題「恋を抱きしめよう」)より    

  「人生って、とても短いもの。人にいらついたり、人と争ってるひまなんて
   ないんだ、わが友よ。」

 今日は6限目に3年生を送る会がありました。懐かしい写真の数々、部活の後輩たちからのメッセージ、ほのぼのとする生徒会制作のドラマなど、楽しいひとときを過ごすことができました。また、3年間交流している北勢きらら学園のM君との交流もありました。写真はその記念撮影
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